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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第四号つづき

04.055
にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくたりたで

04.056
このさきハせかいぢううを一れつに たすけしゆごふをみなをしゑるで

04.057
だん/\とよろづたすけをみなをしへ からとにほんをわけるばかりや

04.058
にち/\にからとにほんをわけるみち 神のせきこみこれが一ぢよ

04.059
このみちをはやくわけたる事ならば あとのよろづハ神のまゝなり

訳)「〈この所は〉人間を初め出した屋敷である。その“いんねん”によって天降って来〈て、神はたすけの道を始め〉た。この先は世界中を、一れつ〈全部〉をたすけ〈るため〉の守護をみんな教える。だんだんと“よろづたすけ”をみな教えて〈置いて、それから〉“から”と“にほん”を“わける”ばかりである。日本に“から”と“にほん”を“わける”道(方法)〈すなわち布教伝道〉が神の急込みであり、これ一条(一筋)である。この道が早くわかったならば、そのあとは万事神のままである。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
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第四号つづき

04.048
なにゝても神のゆう事しかときけ みなめゑめの心しだいや

04.049
しんぢつに心いさんでしやんして 神にもたれてよふきづとめを

04.050
このはなしなにの事やとをもうなよ こゑ一ぢよのはなしなるぞや

04.051
こへやとてなにがきくとハをもうなよ 心のまことしんぢつがきく

04.052
しんぢつの心みさだめついたなら いかなしゆこふもするとをもゑよ

04.053
しかときけよろつの事をみなをしへ どこにへだてわさらにないぞや

04.054
どのよふなところの人がでゝきても みないんねんのものであるから"

訳)「なんでも神の言うことをよく聞け。みなめいめい(当事者)の心次第である。真実に心〈をすまして〉いさんで、思案して(心を定めて)、神にもたれて“よふきづとめ”〈の準備〉をせよ。この話は何のことかと思うな、肥一条(肥の“つとめ”)の話である。肥(肥の“つとめ”による守護)といっても、何が効くと思うな。心の“まこと”・“しんぢつ”が効くのである。真実の心を〈神が〉見定めが付いたなら、どんな守護もすると思え。しっかりと書いておけ。〈“つとめ”に限らず〉よろづの事を皆教える。それには隔ては少しもない。どんな所の人が〈この屋敷に〉出て来ても、皆“いんねん”の者であるから〈皆同じように教える〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.040
いまてハなみなの心とうちなるの 心かをふいちがいなれども

04.041
あすにちハなんでもたのみかけるでな 神のいぢよにつかねばならん

04.042
にち/\にみにさハりつくとくしんせ 心ちがいを神がしらする

04.043
めへ/\のみのうちよりもしやんして 心さだめて神にもたれよ

04.044
なにゝても神のをもわくふかくある そばなるものハそれをしらすに

04.045
けふまでハなによのみちもみへねども はやくみゑるでしやんさだめよ

04.046
このみちをはやくしらそとをもへども さとりがのふてこれがむつかし

04.047
たん/\とふでにしらしてあるけれど さとりないのが神のざんねん

訳)「今では、皆の心と“うち”なる者の心が〈神の心と〉大きな違いであるけれども、あすには〈きょうの心を忘れて〉なんでも神一条(神の話)につかねばならない。〈これをよく頼む。そのため神は“てびき”をするから〉日々に身の障りがついたら、心違いを神が知らせるので〈神の言うことを〉得心せよ。〈それには〉めいめい(当人)の身のうち(からだの病気)から〈心違いを〉思案して、心定めをして神にもたれよ。なんでも神の思惑は深く(遠くまで見透した上で)ある。“そば”なる者はそれを知らずにいる。きょうまでは〈この道について〉どんな話をしても、その道は見えなかったが、〈あすからは〉早く見える。思案〈して心を〉定めよ。この〈先の〉道を早く知らそうと思うけれど、悟りがないので、これが(これを説いて聞かすのが)難しい。だんだんと(順序を追って)筆に〈書いて〉知らしてあるけれど、悟れないのが神の“ざんねん”〈に思うところである〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.030
せかいぢうをふくの人であるけれど 神の心をしりたものなし

04.031
このたびハ神の心のしんぢつを なにかいさいをみなをしゑるで

04.032
なにゝても神一ちよをしりたなら からにまけそな事ハないぞや

04.033
このさきハからとにほんをすみやかに だん/\ハけるもよふばかりを

04.034
これさいかはやくわかりた事ならば 神のざんねんはれる事なり

04.035
しんぢつの神のざんねんはれたなら せかいの心みないさみでる

04.036
だん/\とせかいぢううをしんぢつに たすけるもよふはかりするぞや

04.037
そのゝちハやまずしなすによハらすに 心したいにいつまでもいよ

04.038
またさきハねんけんたちた事ならば としをよるめハさらにないぞや

04.039
いまゝでハなにの事でもしれなんだ これからさきハみなをしゑるで

訳)「世界中〈から寄って来る者は〉多くの人であるが、神の心を知っている者はいない。〈それも無理ではない。しかし〉このたびは神は心の中にある真実を、何でも一切みな教える〈故、よく聞き分けよ〉。何でも神一条(神の話)を知ったなら、〈布教伝道において〉“から”に負けるようなことはない。この先は“から”と“にほん”をすみやかに、だんだん“わける”もよう(段取り)をする。これさえ早く分かったら神の“ざんねん”も晴れる。神の“ざんねん”が本当にみな晴れたなら、せかい〈の人々〉の心もみないさみ出る。だんだんと(順序を追って)、世界中を真実にたすけるもよう(準備・段取り)ばかりするのである。〈そうしてたすけをして行けば〉そののち(将来)は、病まず・死なず・弱らずに〈くらし〉、心次第ではいつまでも〈この世に生きていてよい。また先は(将来には)、〈これはまだ余程〉年限が経ったなら〈のことであるが〉、年が寄る(年寄りになる)ということが全くなくなるのである。〈このような珍しい道について〉今までは何でも知らな
かったことを、これから先は皆教える。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.021
けふの日ハいかなるみちとをもうかな めづらし事がみゑてくるぞや

04.022
だん/\になにかの事もみへてくる いかなるみちもみなたのしめよ

04.023
にち/\によふきづとめのてがつけば 神のたのしゆみいかほとの事

04.024
はや/\とつとめのにんぢうまちかねる そばな心わなにをふもうや

04.025
いかなるのやまいとゆうてないけれど みにさわりつく神のよふむき

04.026
よふむきもなにの事やら一寸しれん 神のをもわくやま/\の事

04.027
なにもかも神のをもハくなにゝても みなといたなら心いさむで

04.028
だん/\になにもをもハくときゝれば みのうちよりもすゝやかになる

04.029
またさきのよふきづとめをまちかねる なんの事ならかぐらつとめや

訳)「きょうの日はどんな道と思うであろうが、珍しいことが見えて来る。だんだんに何でも見えて来るので、〈きょうの日が〉どんな道であっても〈苦労の道を〉みな楽しめよ。日々に“よふきづとめ”の“手”ガ付けば、神の楽しみはどれ程か分からない。〈それ故〉“つとめ”の人衆を待ちかねているのである。“そば”の者は何を考えているのか。どんな病でも〈ただの〉病気ということはないので、身に障りが付くというのは、神の用向きがあるからである。〈この〉用向きも、何のことか簡単には分からない〈だろう〉。神の思惑は沢山ある〈ので、用向きも多い〉。〈それ故病で出て来たものには〉何でも神の思惑を説い〈て聞かし〉たら、心がいさむ。だんだんに(順序を追って)何でも思惑を十分に説き聞かせたら、身の内〈の障り〉もすずやかに(すっきりと)なる。またこの先には“よふきづとめ”を〈できるように〉待ちかねている。何のことかと言えば、“かぐらづとめ”のことである。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
すみません!!m(_ _)m
訳が大幅に抜けていましたので、もう一度アップさせていただきます。m(_ _)m

第四号つづき

04.013
にち/\にみにさハりつくまたきたか 神のまちかねこれをしらすに

04.014
だん/\とつとめのにんぢうてがそろい これをあいつになにもでかける

04.015
にち/\の神の心わだん/\と 上の心にはやくみせたら

04.016
上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい

04.017
にち/\に神の心のせきこみハ とふぢんころりこれをまつなり

04.018
いまゝでのうしのさきみちをもてみよ 上たるところみなきをつけよ

04.019
これさいかみなみへきたる事ならば せかいの心みないさみくる

04.020
なにゝてもせかいの心いさむなら 神の心もみないさむなり

訳)「日々に身に障りが付いて(病気になって){また来たか、神の待ちかねているのを知らないで}〈というようになる〉。だんだんと(順序を追って)“つとめ”の人衆の〈役割通りに〉“手”が揃い〈“つとめ”をする〉。これが合図となって何か〈不思議なたすけ〉が出掛ける(現われる)。日々に神の心〈に急込んでいるの〉は、だんだんと上の心に早く〈この不思議なたすけを〉見せたなら〈ということである〉。〈しかし今の〉上たる者は〈神の心も、この世の真実も〉、何も知らずに“とうじん”(“から”の者)に従っている心が〈神からみると〉実におかしい。日々に神の心の急込みは、“とうじん”ころり(コレラ)〈が流行する旬〉を待っている。今までの牛〈コレラ〉の先ぶれを考えてみよ。上たる者は、〈次には人間のコレラが流行することに〉気を付けていよ。〈その旬になったら、不思議なたすけによって神の心もこの世の真実もわかるようになる〉。これ(不思議なたすけ)さえ皆見えて来たならば〈布教伝道がうまく行って〉、“せかい”(世の中の人々)の
心もみないさんで来る。なんでも“せかい”の心がいさむなら、神の心もいさむのである。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.013
にち/\にみにさハりつくまたきたか 神のまちかねこれをしらすに

04.014
だん/\とつとめのにんぢうてがそろい これをあいつになにもでかける

04.015
にち/\の神の心わだん/\と 上の心にはやくみせたら

04.016
上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい

04.017
にち/\に神の心のせきこみハ とふぢんころりこれをまつなり

04.018
いまゝでのうしのさきみちをもてみよ 上たるところみなきをつけよ

04.019
これさいかみなみへきたる事ならば せかいの心みないさみくる

04.020
なにゝてもせかいの心いさむなら 神の心もみないさむなり

訳)「日々に身に障りが付いて(病気になって){また来たか、神の待ちかねているのを知らないで}〈というようになる〉。だんだんと(順序を追って)“つとめ”の人衆の〈役割通りに〉“手”が揃い〈“つとめ”をする〉。これが合図となって何か〈不思議なたすけ〉が出掛ける(現われる)。これ(不思議なたすけ)さえ皆見えて来たならば〈布教伝道がうまく行って〉、“せかい”(世の中の人々)の心もみないさんで来る。なんでも“せかい”の心がいさむなら、神の心もいさむのである。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
04.001
いまのみちなんのみちやとをもている なにかわからんみちであれども

04.002
このさきハをふくハんみちがみへてある もふあこにあるこゝいきたなり

04.003
このひがらいつの事やとをもている 五月五日にたしかでゝくる

04.004
それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや

04.005
たん/\と六月になる事ならば しよこまむりをするとをもへよ

04.006
それからハたん/\ふしんせきこんで なにかいそがし事になるなり

04.007
これからハ神の心ハにち/\に せきこみあるとをもいこそしれ

04.008
いかほどのをふくせきこみあるとても くちではなにもゆうでないぞや

04.009
このさきハをふくみへくる人ゞを はやくしらしてをことをもゑど

04.010
だん/\とめつらし人がみへてある たれがめへにもこれがみゑんか

04.011
これからのあとなるはなし山/\の みちをみていよめづらしきみち

04.012
をもしろやをふくの人があつまりて 天のあたゑとゆうてくるぞや

訳)「今の道は何の〈ための〉道と思っているか。何か分からない道のようであるが、この先には往還の道が見えている。あそこにある、もうここに来た〈というように早く出て来る〉。その日はいつかと思っているだろうが、五月五日に確かに出てくる。それからお蔭が始まる。夜昼知れんくらいに〈賑わって忙しく〉なる。だんだん進んで六月になったなら、証拠守りを作って出す予定である。それからはだんだんと“ふしん”(普請)を急込んで、とても忙しくなる。これから神の心は日々に急込みが〈つかえて〉、あるとよく知っていてくれ。どんなに多くの急込みがあっても、口では何も言わない〈で、神が働くということも承知していよ〉。この先は〈神の手引きによって〉多くの人が出て来るのが見えていると、早く知らしてやりたい〈と思っている〉が。だんだんと珍しい人が見えてある〈けれど〉、誰の眼にもこれが見えないか。これからあとの話〈をしておく〉。沢山の〈道程を経る〉道であるから、よく見ていよ。〈これは〉珍しい道である。〈やがては〉面白いではないか
、多くの人が集まって、{天の与え〈だ、頂きに行こう〉}と言って来る〈ようになる〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
『さあ/\もうこれ時代は何年の時代になりてあると思う。余程時代は長うなる。古い時代今のようなもの、古い時代の理がすっきり埋れ切ってある。今はずっと世界に“にをいがけ”、端から端まで届いてある。古い理埋れてはならん。古い“にをい”すたりてある。よう聞き分け。古い理からこういう理に成り立ってある。時世が変わりたようなもの。 世界は変わらぬ。元から変わりてはどうなるぞ。教の理に不足は無いもの。又有りてはならん。これまでの道は並大抵の道やあろうまい。年限相當(当)の理は見分けても居るやろう。この事情一寸には難しい。どんな悪風という、事情という、あゝ結構やと思うても、何時どんな悪風吹くとも分からん。世界の風は分からん。元ありての風は、吹かそうと吹かそまいと 自由自在。………遠慮気兼ありては隠し包みも同じ事、教一つの理に違うか違わんか察してみよ。』(M30.01.15)
『鏡“やしき”、四方正面の中でありながら、どうも一つの理に寄せ難くい、集まり難くい。又一人、又一人の理を混ぜるからどうも集まらん。寄せて了えば自由自在(じゅうようじざい)の働きをするわい/\。そもそもの心というは、つくねてあるもの、ばら/\にしたようなもの。………これより刻限の“さしづ”は台となりてくれにゃならん。乗った船なら乗り切らにゃならん。塀なら飛び越さにゃならん。火の中なら飛び込まにゃならん。』(M30.01.13)

※「‘つく’ねて」、は漢字ですが、変換できませんでした。すみません!m(_ _)m


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