忍者ブログ
僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
[262] [263] [264] [265] [266] [267] [268] [269] [270] [271] [272]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

第四号つづき

04.128
いまゝでハにほんかからにしたごふて まゝにしられた神のざんねん

04.129
このかやし神のはたらきこれをみよ いかなものでもまねわでけまい

04.130
いかほどのごふてきたるとゆうたとて 神がしりぞくこれかないまい

04.131
なにゝてもみな一れつハこのどふり 神がぢうよふするとをもゑよ

04.132
しやんせよハかいとしよりよハきでも 心しだいにいかなぢうよふ

04.133
いまゝでもをなぢくらしていたるとも 神のぢうよふしりたものなし

04.134
これからハよろづの事をみなとくで 心ちがいのないよふにせよ

第四号おわり

訳)「今までは、“にほん”が“から”に従ってままにしられた〈ことは〉神の“ざんねん”である。この“かやし”として〈神が働くので、この〉神の働きを見よ。どんな者も真似ができるか。〈“から”の者が〉どんなに剛的な者(剛の者)といっても、神が“しりぞく”(守護の手をひく)から、これにはかなわぬだろう。なんでもみなこのようにして神が自由〈自在の働きを〉すると思え。思案してみよ、〈“にほん”の者が〉どんなに若いとか年寄りとか弱い者であっても、心次第で、〈神は〉どんな自由〈自在の働きもさせる〉。今までも〈教祖と〉同じようにくらしていても、神の自由〈自在の働き〉を知っている者は居なかった。これからは〈この自由自在の働きの話だけでなく〉万事につけてみな説いておくから、心違いのないようにせよ。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
PR
第四号つづき

04.120
いまゝでハ高い山やとゆうている たにそこにてハしけんばかりを

04.121
これからわ高山にてもたにそこも もとはじまりをゆうてきかする

04.122
このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや

04.123
このどぢよなにの事やとをもている これにんけんのたねであるそや

04.124
このものを神がひきあけくてしもて だん/\しゆごふにんけんとなし

04.125
それよりも神のしゆことゆうものわ なみたいていな事でないぞや

04.126
このはなし一寸の事やとをもうなよ せかい一れつたすけたいから

04.127
にち/\に神の心のしんぢつわ ふかいをもわくあるとをもへよ

訳)「今までは{高い山や}(俺は高山に住む指導者だぞ)と言って〈人々をままに(自由に)して〉いる。谷底(の者)は〈この真実に無知な高山に従って〉しょげているだけである。これからは高山にも谷底にも、〈真実の神の話として〉元初まり〈の話〉を〈“にほん”の者から〉言って聞かせ〈ていさむようにす〉る。この世の初まり出しは泥の海〈であった〉。そのなかに“どぢよ”ばかり〈沢山〉いた。この“どぢよ”は何であるかと言うと、これが人間の“たね”になった。このものを神が引き上げ食ってしまって、だんだん守護して人間としたのである。それからの守護というものは、並大抵なことでなかった。この話は、〈昔話かなんぞを聞くような〉ちょっとしたことと思ってはならぬ。〈この話は〉世界一れつをたすけたいから〈聞かす話である〉。日々に神の心の真実〈を説いて聞かすこと〉には、深い思惑があると思え。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.111
このよふを初てからになにもかも 上ゑをしへた事ハあるまい

04.112
このたびハなにかよろづを上たるゑ しらしてをいた事であるなら

04.113
それからハなかにハしやんするもあろ みなよりよふてはなししたなら

04.114
そのなかにしんぢつ心たのもしい をもてしやんをするものもある

04.115
このみちを上ゑとふりた事ならば 神のぢうよふすぐにあらわす

04.116
このよふを初た神のぢうよふを みせたる事ハさらにないので

04.117
なにゝてもしらんあいだハそのまゝや 神のぢうよふしらしたるなら

04.118
これきいてみな一れつわしやんせよ なにかよろつハ心しだいや

04.119
けふの日ハなにがみへるやないけれど 六月をみよみなでかけるで

訳)「この世を初めてからのことは何も彼も〈まだ〉上へ教えたことはないであろう。このたびは何でも皆上たる者へ知らせておいたなら、それからは、なかに思案をする者もあろう。皆が寄り合って話をしたら、なかには本当に心に頼もしい〈話である〉と思って、思案をするものもあろう。この〈話の〉道を上へ通じたならば、神の自由(じゆうよう)〈自在の“たすけ”〉を直ぐに現わす。この世を初めた神の自由〈自在の“たすけ”〉を見せたことはなかった。〈それ故〉何も知らないで過ごしているが、神の自由〈自在の“たすけ”〉を知らせてやったなら〈そのままにはしていられない〉。これを聞いて、みな一れつ〈の人々〉は思案しなければならない。〈これと同じように〉何でも心次第である。きょうの日は、まだ何も見えて(実現して)いないが、六月をみよ、みな出て来る。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.104
このよふを納も上天もかみ 上と神との心わけるで

04.105
だん/\とみゑん事をばゆてをいて さきでみゑたらこれが神やで

04.106
いかほどにみゑたる事をゆうたとて さきでみゑねはわかりあるまい

04.107
これからハせかいぢううのむねのうち 上下ともにわけてみせるで

04.108
これをみよせかいもうちもへたてない むねのうちよりそふぢするぞや

04.109
このそふぢむつかし事であるけれど やまいとゆうわないとゆてをく

04.110
どのよふないたみなやみもでけものや ねつもくだりもみなほこりやで

訳)「この世を治めるも上なら、天もかみである(上方の天にあって、神が治めている)。上と神との〈治める〉心をわける。だんだんと見えないことを言っておいて、先で見えたらこれが神である(神は先をみて治める)。どんなに見えたことを言っても、先が見えなければ〈本当の治め方は〉わかるまい〈。それが上の治め方である〉。これからは世界中の胸の内を、上下共に“わけて”みせる。〈そのため神は働くので〉これ(この働き)をみよ。〈神は〉“せかい”も“うち”も隔てなく(平等に)胸の内より掃除するぞ。この掃除は難しいことであるが、〈埃が立って身上・事情が現われても〉病というはないと言っておく。どんな痛みや悩みや出来物や熱や下りも、みんな“ほこり”である。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.096
いまのみち神のせきこみうちなるハ あんぢないぞやしかとみていよ

04.097
これまでとみちがかわるとゆうてある 神ハちごふた事ハゆハんで

04.098
このさきハ神の心のせきこみを くちでハどふむゆうにゆハれん

04.099
いかほどにむつかし事とゆふたとて とかすにいてハわかるめハなし

04.100
にち/\に神のをもわくだん/\と といてをくぞやこれきいてくれ

04.101
このみちハなにかむつかしめつらしい みちであるぞやたしかみていよ

04.102
このみちをとふりぬけたらそのさきハ からハにほんのぢいにしてある

04.103
からのぢをにほんぢいにしたならば これまつだいのいきどふりなり

訳)「神の急込んでいる今の道を、“うち”の者は心配しているが、案じることはない。しっかり見ていよ。これまでと道が変わると言ってある。神は違ったことは言わない。この先は神の心の急込みを口ではどうも言うに言われない。〈言うのが〉どんなに難しいといっても、説かないでは分かりようがない。〈それ故〉日々に神の思惑をだんだんと説いておくから、よく聞いてくれ。この〈思惑の〉道は、全く難しい〈しかし〉珍しい道である。しっかり見ていよ。この道を通り抜けたなら、その先は、“から”は“にほん”の地にしてある。“から”の地を“にほん”の地にしたならば、これは末代(永遠)の生き通りである。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)

注)「地」=「心」
最近は、現況などはなにも書いていませんでしたが、昨日やっと“理の子”たちが、別席の二席目を運ばせていただくことができました。
最近は、寒い日が続いいますが、昨日はお天気もよく暖かい日で、いろんな意味でほんとうに結構なご守護をいただくことができました。

また、これからも“理の子”たちに自分自身の因縁や我が家の因縁を見せていただいていることに感謝させていただき、なお一層“たんのう”させていただいてお道を通り切らせていただきたいと思います。

ひろ
第四号つづき

04.090
これからハこのよはじめてないつとめ だん/\をしへてをつけるなり

04.091
このつとめせかいぢううのたすけみち をしでもものをゆハす事なり

04.092
にち/\につとめのにんぢうしかとせよ 心しづめてはやくてをつけ

04.093
このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを

04.094
このみちがたしかみゑたる事ならば やまいのねゑわきれてしまうで

04.095
しんぢつの心しだいにいづかたも いかなしゆごふもせんとゆハんで

訳)「これからは、この世を初めて〈から、まだ教えて〉ない“つとめ”を、だんだんと教え、“手”をつける。この“つとめ”は、世界中のたすけ道(たすけの手段)で、ものを言えない者でもものが言えるようにするのである。〈それ故〉日々に“つとめ”の人衆はしっかりせよ。心をしずめて早く“つとめ”にとりかかれ。この“つとめ”を何の事かと思っている〈が、この“つとめ”によって〉世界を治め、〈世界を〉たすける(自然の恵みを守護する)のである。この道が確かに見えて(実現して)来たなら、〈人間の〉病の根は切れてしまう。真実の心次第に、どこにおいても、誰でも、どんな守護でもしてやろう。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.079
せかいぢう神のたあにハみなわがこ 一れつハみなをやとをもゑよ

04.080
せかいぢうせきゝよとしてはちめかけ といてきかするきゝにいくなり

04.081
いかほどにみゑたる事をゆうたとて もとをしらねばハかるめハなし

04.082
だん/\とない事ばかりゆてをいて それでたならばこれがまことや

04.083
一れつに神にもたれるこのこども はやくをもていでるもよふせよ

04.084
しんぢつにをもてゞよふとをもうなら 心しづめてしんをたづねよ

04.085
このこどもしんぢつよりもむねのうち みさだめつけばいかなもよふも

04.086
にち/\に神の心わせきこめど こともの心わかりないので

04.087
こともでも一寸の人でハないからに をふくのむねがさらにハからん

04.088
いまゝでハがくもんなぞとゆうたとて みゑてない事さらにしろまい

04.089
このさきハみへてない事だん/\と よろづの事をみなといてをく

訳)「世界中〈の人間〉は、神にとっては皆わが子である。すべての者はみな〈神を〉親と思え。世界中〈どこでも、話をしらせるのに、まず〉説教〈の形式〉として始め掛ける。説いて聞かせる、聞きに行く〈というのが世間のやり方である〉。〈しかし〉どれほど見えたようなことを言っても、〈言う方が人間やこの世の〉元を知っていないのであるから、〈聞く方で〉わかる筈がない。だんだんとないこと(今は目に見えないこと)ばかり言っておいて、それがその通りになるならば、これが本当である〈。その通りになるのは元を知っているからである〉。一れつに、神にもたれるこの〈布教伝道しようとする〉“こども”よ、早く表へ出るもよう(準備)をせよ。本当に表へ出ようと思うなら、心しずめて“しん”(元)を尋ねよ。この“こども”の胸の内が〈神の方で〉本当に見定めがついたなら、〈説教に限らず〉どんなもよう(手段)も〈講じて話が伝わるようにしよう〉。日々神の心は急込んでいるが、“こども”(人間)の方はさっぱりわからない。“こども”でも少しではな
い、沢山いても全然わかっていない。今までは学問なぞと言っても、見えていないことは全く知らないであろう。〈しかし神は〉この先(将来)は見えてないことを万事〈必要なだけは〉みな説いておく。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.069
うちなるハ上をふもふていづみいる こわみないぞや神のうけやい

04.070
いまゝでとみちがかわりてあるほどに はやくせきこみをふくハんのみち

04.071
このみちハいつの事やとをもている はやくてゝみよもふいまの事

04.072
だん/\とふてにしらしてあるほどに はやく心にさとりとるよふ

04.073
これさいかはやくさとりがついたなら みのうちなやみすゞやかになる

04.074
つとめても初てをどりまたかぐら 一寸のほそみちつけてあれども

04.075
だん/\とくさがしこりてみちしれす はやくほんみちつけるもよふを

04.076
にち/\に心いさんでせきこめよ はやくほんみちつけた事なら

04.077
しんぢつにこのほんみちがついたなら すへハたのもしよふきづくめや

04.078
村かたハなをもたすけをせへている はやくしやんをしてくれるよふ

訳)「“うち”なる者は上を思っていずんでいる。怖いことはない、神が請け合う。今までと道が変わっているから、早く往還の道に出るよう急込むのである。この道はいつのことと思っているが、早く出てみよ、もう今のことである。〈この道が変わっていることについて〉だんだんと(順序を追って)筆(ふでさき)に知らしてあるから、早く心に悟り取るがよい。これさえ早く悟りがついたなら、身の内の悩みもすずやかに(すっきりよく)なる。“つとめ”でも、初めは“てをどり”〈を教え、次いで〉また“かぐら”〈のことも教えて〉、ちょっとの細道を付けてはあるが、だんだんと草がしこって(繁って)道がわからなくなっている。早く〈細道を出て〉本道をつける段取りを〈付けよ〉。日々に心にいさんで〈本道を〉急込め。早く本道を付けたならば〈やがてそれが“つとめ”のできる往還の 道となる〉。本当にこの本道がついたなら、その末は〈往還を通って〉頼もしい陽気“づくめ”〈の道になるの〉だ。村方はなおもたすけを急いているので、早く思案〈してたすけ
の準備を〉してくれるよう。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)
第四号つづき

04.060
けふの日ハなにかめづらしはじめだし よろづいんねんみなついてくる

04.061
いんねんもをふくの人であるからに とこにへだてハあるとをもうな

04.062
このよふを初た神の事ならば せかい一れつみなわがこなり

04.063
いちれつのこともがかハいそれゆへに いろ/\心つくしきるなり

04.064
このこともなにもをしへてはや/\と 神の心のせきこみをみよ

04.065
だん/\とこどものしゆせまちかねる 神のをもわくこればかりなり

04.066
こどもさいはやくをもていだしたなら からをにほんのぢいにするなり

04.067
しんぢつにこどもの心しかとせよ 神の心ハせくばかりやで

04.068
にち/\に神のせきこみこのなやみ はやくたすけるもよふしてくれ

訳)「きょうの日は、本当に珍しい初まり出し〈をみよ〉。万事〈について〉“いんねん”〈によって〉皆ついて来る。“いんねん”も多くの人であるからといって、どこにも隔てはない。〈“いんねん”と言うと隔てがあるように思うかも知れぬが〉この世界〈や人間〉を初めた神であるから、世界一れつは皆わが子である。一れつの子供が可愛いが故に、いろいろ心を尽しきっている。この〈“いんねん”によって出て来た〉“こども”に、何も彼も〈たすけの守護を〉教えて、早く〈表へ出したい〉という神の心の急込みをみよ。だんだんと(順序を追って)この“こども”の出世(成人)を待ちかねる。神の思惑はこればかりである。〈この、たすけの守護を教えられた〉“こども”さえ早く表へ出したなら、“から”を“にほん”の地にするのである。真実に“こども”の心よ、しっかりせよ。神の心は急くばかりである。日々に、神の急込み〈の現われである〉この悩みを、〈よく思案して、心を定めて神にもたれ、〉早くたすける段取りをしてくれ。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著
 天理教道友社刊参照)


忍者ブログ [PR]
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア