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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『般若心経』の最後に、『菩提娑婆訶(ぼーでぃそわか)』とありますが、これは、『悟り(菩提)が成就した(娑婆訶)』ということのようです。

そこで、小林正観さんは『そ・わ・か』(そ=掃除、わ=笑い、か=感謝)の法則という本を書かれました。
これは、ひじょうに不思議な感じで、小林正観さんは、実際に『悟りを成就された方』なのではないかというふうに僕は感じています。

そしてまた、『う・た・し』(う=嬉しい、た=楽しい、し=幸せ)会というものを作られていますが、その他にも、「き・く・あ」(き=競わない、く=比べない、あ=争わない)、「い・ど・お」(い=威張らない、ど=怒鳴らない、お=怒らない)、「う・に・の」(う=恨まない、に=憎まない、の=呪わない)などという生活上における標語のようなものを作られています。

以前から書かせていただいていますが、なんだかほんとうに不思議に感じがするのですが、小林正観さんが書いておられることは、お道のみ教えである『陽気ぐらし』と『たんのう(堪能=十分満足する)』、そして「八つのほこり」の心をつかわないということにすごく似ているように思います。

ひろ
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何があっても「五戒」(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を言わず、口から出る言葉がすべて優しく、温かく、楽しく、周囲の人を元気にするものであるという人になれば、地球や宇宙を味方につけることができます。
「地球や宇宙を味方につける」とは、自分と地球や宇宙のリズムが合っている人という意味です。………………
地球や宇宙のリズムと合っている人の共通項は、常に口から出てくる言葉がうれしい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ツイてる、などの肯定的な言葉であること。反対に、地球や宇宙を敵にまわしている人の共通項は、つらい、悲しい、つまらない、いやだ、きらいだ、つかれた、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句などの否定的な言葉を多く言っているということです。
そして、外に出てなにげなく天気への不満を言っている間は、否定的な評価評論をする癖がついたまま。どんなに一生懸命生きているつもりでも、宇宙は味方になってくれません。(「楽しい人生を生きる宇宙法則」小林正観著 講談社刊)
お釈迦様のお言葉に「すべてが、あなたにちょうどいい」というのがあるそうです。

今のあなたに、今の夫がちょうどいい。
今のあなたに、今の妻がちょうどいい。
今のあなたに、今の親がちょうどいい。
今のあなたに、今の子供がちょうどいい。
今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。
今のあなたに、今の友人がちょうどいい。
今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。
死ぬ日もあなたにちょうどいい。
すべてが、あなたにちょうどいい。


このお言葉は、お道の先生方の本にもよく引用されているお言葉だと思いますが、少し僕の現在の悟り方を書かせていただきたいと思います。

今生における縁のある、夫、妻、親、子供、兄弟、友人、仕事、死期などは、すべてその人に合った因縁の人や仕事が組み合わされている。
これを、お道では「因縁寄せて守護をする」というふうに言われています。
また、“節”をいただく時旬なども、すべて前生前々生の因縁に応じて定まっているように思います。

ひろ
『陽気ぐらし』とは、《日々をいかに楽しく生きるか!?》ということであり、成ってくることをすべて“受け入れ”、すべてに《ありがとう(ございます)!!》と『感謝と喜び』の心をもつことなのであると思います。
それが、即ち《“たんのう”(堪能=十分満足する)》させていただくことであると思います。

また、『成ってくる理が天の理』と言われるように、すべての現象には意義があり、その原因は前生前々生にあるわけで、人間が頭で考えたってわかるわけがないのだから、成ってくることを素直にまるごと受け入れて、あれこれ悩んだり考えたりしないで、神様に凭れ切って《陽気》に《感謝と喜び》の生活をさせていただくことが『陽気ぐらし』というのだと悟らせていただきました。

ひろ
一昨日、横内さんという方に会った。(いろんな所で講演をされている知っている人は知っている有名な方らしい。)
最近、お道以外で信仰には関係ないが、全力で本気で人様のために“はたらいて”(はたはたを楽にする、人様の為に自分自身を捨て切ってはたらいておられる)いる人とご縁をいただいているようで、なんだか不思議な感じでほんとうに有り難い!!(*⌒▽⌒*)

再び、先日からの小林正観さんのお話で、「トイレ掃除をすると運が良くなる」というような話があるが、精神的な病の人が救かったり、お金に困っている人が不思議とお金の流れが良くなったりするようです。
修養科でも、トイレ掃除を一生懸命やっている人は、ずいぶん良い変化があるようにお聞きしていますが、なんか不思議な『宇宙の道理(方程式)』があるようです。

これは、「人間には宇宙の大生命(神様)とつながっている目には見えないパイプのようなものがあり、人間の我や欲のほこりがそのパイプに詰まってしまっているために、本来の宇宙からいただいているエネルギー(神様のご守護)がうまく流れ込んでこれない状態になってしまい、運命が停滞してしまっている状態」のようなのです。
それで、〈人がみんな嫌がるようなトイレ掃除〉を毎日させていただくことにより、そのパイプの詰まり(我や欲のほこり)が取れてスムーズに宇宙のエネルギーが流れ込んで来るようになるのだそうです。

ひろ
『ありがとう(ございます)』とは、有り難いこと(普通では有り得ないこと=奇跡)に対して感謝し喜び、そして御礼を申し上げている言葉なのです。

お道のみ教えに『かしもの・かりものの理』というものがありますが、人間の身体は神様からの借り物であり、当たり前のように思っている、「目が見える、耳が聞こえる、匂いがかげる、言葉を話せる、手も足も自由に動かせる、また、呼吸ができる、食事ができる、食べたものを吸収して栄養としていただける、排泄もできる、などなどのことは、すべて神様の御守護をいただいているからこそ自由にでき、自然にしていただいている」という計り知れない神様の御守護(奇跡)を毎日四六時中いただいているということなのです。

しかし、人間はあざないものゆえに、これらのことを当たり前のことと思っているのです。
それゆえに、人間はいくら感謝してもしきれないくらいの恩恵を神様からいただいているのに、ほとんど感謝もせず御礼一つ言えないで暮らしているのです。

そこで、《ありがとう(ございます)》という『感謝と喜び』の言葉を絶えず口にして御礼を申し上げて日々を通らせていただくということは、日々を“たんのう(堪能=十分満足させていただく)”の心で通らせていただくとことになるのだと思います。
また、神様は「“たんのう”は前生因縁の“さんげ”として受け取る」とも仰せになられています。
決して不足(泣き言、不平不満、愚痴など)を言わずに、《ありがとう(ございます)》という言葉をかかさずに毎日口癖のように実践させていただいていると、その回数に応じて不思議不思議の奇跡的な御守護がいただけるようになるようです。
ただし、不足を一回でも口にするとなかなか御守護はいただけないようなので、しっかりと“心定め”をさせていただく必要があります。

ひろ
『たんのう』とは、どんな辛い厳しい状況におかれたとしても、前生前々生における“悪因縁”によって生じて来ている通り返しであり、果たしとなるもの(悪因縁を納消していただくためにどうしても通り抜けなければならないもの)と深く悟り、『ああ、大難を小難にしてお連れ通り下さっている、ほんとうに結構で有り難いことだ!!』と感謝し《十分満足させていただく!!》ことだと悟らせていただいています。
しかし、これはほんとうになかなか難しいことだと思います。

これを小林正観さんが言われるように、すべての成ってくることを、ああこれは今の自分に必要なことなんだなあとまるごと受け入れて、理由はわからなくても、決して不足(泣き言、不平不満、愚痴など)を口にせずに、ただただ、常に《ありがとう(ございます)》と感謝の言葉を繰り返す毎日(1日に1000回以上)を送っていると、不思議不思議と奇跡のようなことが起きてくるようです。
これは、ひじょうに画期的な超プラス思考であり、より神様に感謝させていただき御礼を申し上げていることになり、“たんのう(堪能=十分満足する)”させていただくことにつながるのではないかと思います。
しかし、これには不足(泣き言、不平不満、愚痴など)を一切言わないという約束事があるので注意しなければなりません。一度でも不足してしまうと始めからやり直しになるそうです。
実際に奇跡的な変化があるようなので、少なくとも何か良い変化が起きるまでは、「一切“不足”をしない!!』としっかりと“心定め”をさせていただくとよいのではないかと思います。

ひろ
以前にブログで紹介させていただきました小林正観さんの本についての記事をまとめてみました。
http://silver.ap.teacup.com/applet/moonlightneo/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%8F%AC%97%D1%90%B3%8A%CF&inside=1&x=0&y=0


最近、ガンで友人がまさか?の出直しをされました。余命を宣告されてガンを承知の上で修養科に入られて元気になられて無事修了され、もうほとんど見た目や体調的にも健康そのもののような方で、出直される二週間前くらいまで、メールのやりとりをしていた方でした。(そうなることがその方の寿命だったのか?とは思いますが、どうしてそうなってしまったのか?が理解できず、もうどうしようもないくらいショックな衝撃的な出来事でした。)

そして同時に、今お世話させていただいている理の子が大きな節に入っており、僕自身の生活環境や体調も変調をきたして来ているという大きな大きな節をいただいていました。

僕自身をはじめ人間というものは、自我(ほこり)の心がひじょうに強く、なかなか深く「因縁の自覚」をし“たんのう”させていただくということは、ひじょうに難しいということを再認識し、いろいろ思い悩み、最近、またいろんな本を読み返してみることにしました。
そこで、再び、小林正観さんの本を読んでいると、わかっていたはずのことが、ちゃんと認識できない状態になってしまっていたんたんだなあということがわかりました!!(^_^;)

それで、本の最後の方に書いてあるホームページに行ってみました。すると、わりと近い所に「うたし」会のショップがあることを発見させていただきました。
早速そこへ行き、様々な本をお借りして読ませていただいているのですが、どうしてこれだけお道のみ教えと同じようなことがわかりやすく書いてあるのだろうか?と不思議に思いました。
これは、大きな節を与えていただき様々なことに悩み苦しんている僕に、神様が与えて下さったプレゼントなのではないかと思います。

お道の人ではない方(何の宗教や団体にも属されていません)が、僕が悟らせていただいているはずの『お道のみ教え』を再認識させていただくために、神様が小林正観さんを通じて噛み砕いてわかりやすく教えて下さっているように僕には思えます。

もしかしたら、僕の悟り方が間違っているのかもしれませんが、これからしばらく(毎日にはならないかと思いますが…)僕が感じたことを書かせていただきますので、参考になるなあと思う方はぜひ参考にしてみて下さい。

ひろ
『さあ/\事情以ちて事情尋ねる。身の処さあ/\めん/\身上事情人にもあればどうなろう案じ一つの理を回る。取り直せ/\。治め一つの理が大事。人間というは残らず神の子供。救からんやならん処の理より、救からん処の理を聞き分け。心一つの理である/\。案じる事は要らん。案じは案じの理を回る。どうであろう、案じやせんと言うても、心一つというは、時々日々どんな事も思う。変わるは一つの案じ、変わらんは一つの誠。』(M22.9.21)
『さあ/\めん/\の身上、身上から事情、めん/\から大抵の事情尽す。めん/\の身の処の事情分からんと言う。何も分からんやない。一度聞いた事生涯と、心定め。一寸々々心変わりては、どんならん。めん/\諭する理いと、めん/\の身いと、この理を分からんや、何遍でも後い戻る/\。身はかりもの、心我がもの。心を洗い、内々には芯というものがある。芯を狂えば、朝の晴天昼から曇る。曇れば晴らす、晴天以ちて働くをやである。この理をよく聞き分け。』(M21.7.4)


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