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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『たんのう』とは、どんな理不尽なことでも、どんな理解不能なことであっても、【成ってくる理を、すべてまるごと“受け入れる”】こと。

そして、その上で、しっかりと自分自身の【因縁の自覚】をさせていただき、十分に満足し【感謝と喜び】にまで昇華させていただくことであると、はっきり悟らせていただきました。

ひろ
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『さあ/\よう聞き分け。何かの事も、身の内処、かりもの処聞いて居る。聞いたとばかりで理を聞き分け。理を聞かす。聞かした事向こい聞かす。身の内処どうしたら癒る。胸三寸話を聞いて、身の内の処発散する。これよう聞き分け。めん/\身の内障りて、胸の内三寸、我がもの。難しい事言わん。誠というは天の理である。誠より外に受け取る処無く、一寸は、この理が分からん。自由自在というは、誠な理から現わすのや。内々の処、誠一つの道、これが第一。一つの話をして置く。』(M20.09.18)
『さあ/\よう聞き分けねば、分からんで。二度三度の身の障り、これまでの身の障り分かるまい。身の障り順序の速やかなるは身の障りに、神の思わく授けもの。内内の処、心一つ定め。一度とも二度とも三度やら分からん。さあ/\何時とも。』(M20.08.28)
『さあ/\いかなる処身上一条尋ねる。尋ねる処、さあよう聞き分けねばならん。何程十分々々まあ十分暮らする。何かに十分暮らする処、これまで何も/\分からん。分からん間そのまゝ。身の内理上神のかりもの、聞いて/\一つ理を聞き分ける処速やかならん。尽す一つ理上ある。まあこうして月々年々暮らす。一々不自由、一寸心のたんのう。身の内一つ不足、十分心持ち、身のかりものこれを聞き分け。十分理まえよう聞き分けて置かねばならん。まあたんのうして十分たんのうの心の誠より無いものである。一時成る成らん、日々不自由、よう聞き分けて思案、分からんであろ。じっと身の内治まった処たんのう。誠の誠十分を受け取る。いかなる心十分思う。尽せども、一時一寸思う処聞き置き、いかなるも世上世界を眺めればいかなる人もある。一時何も不自由無く、たんのうの心分からん。心のたんのう心第一。めん/\天のあたゑ十分にあるものじゃ。今までどういう事も世上聞き置く。神の道、思いを取り直せ。理を聞き分けて、心と神の道と身の内話聞き分け。第一身の処
不自由年々不足と聞き分け。何不自由無き処聞き分け。たんのう誠、一つ取り直せ。心早く急ぐ。』(M20.08.16)
小林正観さんのまねをして、ちょっと標語みたいなのを考えてみました。

「ハ」
腹を立てない

「イ」
イライラしない

「オ」
怒らない

「ク」
くよくよしない

最近ガソリンは高騰してレギュラーでも高いのに、ハイオクなんてとても無理かもしれないけど、心の燃料は「ハ・イ・オ・ク」を使用すると燃費もかからずスムーズで軽快に人生という名の道路を快適に走れるんじゃないかなあ!!o(^o^)o
「おしい」
人のために心をつかったり、からだを使うことを惜しむ心づかい。人に物を貸したり、お金を払うことを惜しいと思い、また、手助けをするために時間や力を使わないなど、すべてに出し惜しみ、骨惜しみすること。

「ほしい」
自分の必要なものは与えられているのに、満足しないで、もっとほしいと思う心づかい。人が持っているものを見てはほしいと思い、働かないのに見返りをもとめたり、自分を省みないで、むやみにほしがること。

「にくい」
理由もないのに、自分の気に入らないからといって人をきらったり、相手にあやまちがあった、失礼だといっては人をにくんだり、すべてに自分のわがまま・気ままから人をにくむ心づかい。

「かわい」
かたよった愛情をもったり、自分さえよければ他人はどうでもよいと思う心づかい。分けへだてをして、特別な人に親切にしたり、自分やわが子、わが家のことばかり考えて、他人のことを思わない利己心。

「うらみ」
自分がこうしようと考えていることをじゃまされたといって人をうらみ、不親切だといって人をうらむなど、自分の努力が足らないことを反省しないで相手をうらむこと。また、他人の幸福や出世をねたむこと。

「はらだち」
人が、自分の気に入らぬことを言ったといって腹を立て、おもしろくないからといって、つまらないことに腹を立てる心づかい。広く大きな心をもたず、しんぼうをして人を許せることのない気みぢかな心。

「よく」
自分中心で、なんでも自分のものとしようとする心づかい。人の物をぬすんでも、人の目をだましても、取れるだけ取りたい、無理なもうけを得たいなどと、あるが上にもいくらでも取りこむような心づかいをいう。

「こうまん」
知らないことを知っているふりをしたり、自分は人よりも偉いとうぬぼれたり、自分の意見はどんなことがあっても通すが、人の意見はきかず、人の欠点をあばこうとしたりする思いあがった心づかい。

以前に書かせていただいたものと少し違う「八つのほこり」の解説本を見つけましたので今日の記事とさせていただきました。
『さあ/\/\/\いかなる処/\事情一つ、さあ/\事情道すがらを通して道に一つの事分からん。だん/\通り来たる処順々の道を知らそ。さあどういう道どんな道通りて定めた処、どういう処も尽す/\。よう聞き分け。どうなろうか/\と思う。その中に、誠一つ運ぶ。一つ兄弟々々の処なら、どういう道すがらもある。これも兄弟ならと尽す。これもどういうものなら、又、どういう事も内々の処へ中なる処も尽し、理を分からんでない。内々の処それ/\の処映し、善の処は随分弱いもの。善というものは弱いよで強いもの。弱いよなもの、年々続く天の理である。これさい分かれば速やか直ぐ、明らかのもの。我がものと思いながら、我がまゝならんのが天のもの。我がまゝならんのが、天のあたゑや。直ぐと分かる理がある。真実聞き分けば、分からんでない。さあ/\どんな道もこんな道も、ほうとした道も、通りた実を定めば、実々の楽しみ。実を定めた証拠、先々の楽しみ、これを真と思うなら、実々を分かる。世界を眺めて救ける処、十分のさづけ渡そ。あしきはらいたす
けたまへ天理王命、三遍唱えて三遍撫ぜ、返やして三遍、さゞん九遍撫ぜてやれ。』(M20.11.21)
『さあ/\いかなる処、精神上、今までの処何でも/\という精神受け取りたるで。何でも/\と思えば根が差す。根が差せば、根から芽が出る。成るだけ/\ひそやか/\として、心を何も彼も扶け合いの心定め/\。よう/\道がある/\。心一つ治まりがある。誠が心の錦である。内々の処へも伝え、いつ/\までも忘れぬよう。』(M20.11.18)
『さあ/\何かの処も一ちと言うで分からん。一人々々の心に留まる。天然自然道や。往還道でも心に掛けずしては、踏み被ぶる。細道でも、心に掛けば、よう通れるものや。暫く心澄まして、一寸根の方へ力を尽せ。成るだけの踏ん張りをせねばならん。だん/\奮発する故よりの事。』(M20.11.16)
『さあ/\よう聞き分けねば、分からんで。結構々々で道を通る。たゞ結構では分からせんで。心々、神一条の道は誠一条の道を分かりてくれねばならんで。心一つ定めてくれねば分からんで。世上にどんな事があろが、心一つの心で通れば、よう通れるで。誠さい定めて居よなら、独り救かるで。』(M20.11.16)


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