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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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先日、他のブログで質問をいただきお答えさせていただきました『白いカラス』の正体の記事を今日のブログの記事とさせていただきたいと思います。

「カラスは黒い」というのは、あたりまえのことですよね。しかし、これは人間がそう思っているだけなのだということなのです。
神様は、前生前々生のことについては‘垂れ幕’をはってわからないようにしてある(記憶として残してはいない)と仰せになられています。

そこで、「なんで自分だけこんなに苦労しなきゃいけないんだ!?」とか「なんでこんな病気をしたり事故にあわなきゃいけないんだ!?」とか思うだろうが、前生のことは何もわからないのだから、『自分自身が蒔いてきた種の結果だと、悟り“たんのう”するように』と、そしてその“たんのう”(十分に満足させていただくこと)をすることによって、『前生いんねんの“さんげ”として受け取る』とおっしゃっています。

その「自分(人間)の考えではありえないこと」をさして『白いカラス』と表現させていただいているわけです。

ですから、はじめから自分自身の『因縁の自覚』ができていた人などいないということで、お道の話をしっかり聞かせていただくことによって、「ありえないこと、理不尽なこと、理解不能なこと」をすべて“まるごと受け入れる”ということが『“たんのう”』させていただくということになるのです。
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『さあ/\よう聞き分けて、いつ/\までも、何かの処順序一時一つ聞き分け。諭する処、これは天然自然の道、一寸見え掛けてある。どうか一つたんのう、前一つ心でいうは第一の処、世界中善も悪も無い。どうもならん。どんと一つ処長々道、家内銘々それ/\、銘々一つ心得んと思う処、これだけと思えばこれだけのこうのう。これだけの事ならたんのう。聞くと直ぐや。すきやかなれば直ぐと一つ尋ねに出よ。』(M20.11.05)
『さあ/\暫く/\。大抵の処運び切り/\、今までの処、分からなんだ。分からんなりに運び来た。天然自然誠という事、天然自然の道失わさん。心一つ映して、成程の処へ諭して分かる。大層々々の処、こうして運べ。さら/\癒さにゃならんならん。あちらからもと言うて、組み立てる。固めねば治まり付く。案じる処無い。身上一つ尋ね出る。日々送る処、年々に送る処、日々の日一日の日でも、うっとし日もある。それでもやはり、送らにゃならん。』(M20.11.02)
『さあ/\、よう聞き分け。尋ねる理、運ぶ順序の理、何程頼めども、何程尽し願えども、身適わんと言うても、何程身を堪えられんと言うても、拝み祈祷するやなし、柔らこい話で理を聞き分けば速やかなるもの。めん/\に取りて一つの理早く聞き分け。内の理と外の理と聞き分け。内の身と世界の身の内も皆かりもの。それ世界に、人に見せられん、見るに見られんと言うもある。前世のいんねん/\と言うても、分かりゃせん。』(M20.10)
『さあ/\身上尋ねる。しいかり聞き分け。これまでどんな話も聞いて居ても、理を聞き分けねば、何にもならん。一つの台を拵え。人々に諭すには、内に台というもの拵え。睦まじいとの、内々に睦まじいという台を拵えて、それより世界伝え。何処から見ても成程と言う。世界から成程と言うは天の理や。心に誠一つであれば、これが往還道や。めん/\これからや。未だ/\との心を定め。』(M20.10)
『さあもう十分日が詰み切ってある。もうはじけんばかり。もうせえつうが来たるから、この間から角目々々の話聞いて居る者もあり、すうきり知らん者もある。よって知らん者には聞かしてくれるよう。見れば否や、思えば否や、言えばそのまゝ見える道に成りてある。さあ/\家内それ/\の処、さあこれはどういう事や知らん、どういう道になろう。さあいよ/\綾や錦仕事に成りてある道、さあどんと心落し付けてくれにゃならん。さあふでさきの角目々々、又これまでに聞かしてある話の角目、よう思やんしてくれにゃならん。』(M20.03.24)
『さあ/\身上一つの処、さあ/\心得ん/\いう処、めん/\身上心得んと言う。一つ諭しよう。何かの処諭しよ。めん/\事情聞いて、理を聞き分けんという処、めん/\心の事情、心事情世界にある。諭して居る処の理を聞き分け。いかなるも速やか、身上速やか。さあ/\、身の処より定まらにゃ、定まりあらせんで。身の処諭する処、成程の理が見える見えんは、成程の理を見てくれにゃ分からん。』(M20)
『さあ/\尋ねるであろ/\。身上一つに事情無くては、めん/\身上於て障り無くば、尋ねん。めん/\最初一つの道を有ろ。危なき処、元理聞いてある。先ず/\世界の道無くて通り難くい。めん/\の理を分かれば、世界分かりそうなものや。どうも大望あろう。今一つの道、前々道も通り来て、今一つ道、世上一つの道も聞いて一つの思案と、今一つの道速やか神より伝えてある。道は未だ/\一年二年三年、未だ/\初まり/\と聞かし置こう、と、又今一時に分かる話もある、と、聞かし置こう。しっかりと聞き取りて、聞き分けてくれるよう、と。』(M20)
『さあ/\いかなる尋ねる事情を、どういう事聞き分けと言うならば、とんとなる案じ/\、とんと随分急く処、一つ治まる。誠真実定めば連れて通るという処、前々より知らしある。案じがあってどうもならん。あちらもこちらも、世界中へ柱を付けてある。怪しい道であれども皆連れて通ってある。十分々々の実を尋ぬれば、真夜々々々々に尋ね出るよう。一寸の事と言えば、一寸のさしづして置こう。一寸一寸の何事も案じの無きようのさしづ。実を聞けば、実を知らそ。五十年以前からの道、何でもない所の何でもない者、一人の処をよう思案して見よ。聞き分けば随分分かる。さあ/\案じは要らん。案じ思えば案じになる。そこを思え。よく思案せねばならん。』(M20)
『先ず先ず道何程の心尽せども、誠の心を尽さねば、めん/\から定めた心、我身大丈夫と思えども、定めた心間違って居る。独りの内より定めた心、身の踏み処十分と思えども、内々の処めん/\定めたる処、ころりと間違って居る。今一つ道定め処踏み止め処、どういう道が見える知れん。道にて道がある。諭す道一つ道が悟る事出けぬ。めん/\定めた道末代生き通りのように思うて居るから、これがころりと間違うてある。一つ中にて今一時危ない怖わい世界見える。見る処仔細一度二度聞いたるなら、聞いただけ見える。一年二年聞いて、この道今世界善悪分かる際心通り見える。そこで取次より言い聞かせ。多くの人の中、あんな人さいあんな人が出ける。神の一条の道を通れば、大難小難で救かる事、押して、道の順序を押して願えば、おさしづ。さあ成る成らんと言えば、一足跳びの一足も、誰と言うものである。日々めん/\今一時神の道順序難しい。いかなる事も心次第。』(M20.10.01)


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