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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 かくて、親神は、教祖の口を通して、親しく、よろづいさいの真実を明かされた。それは、長年の間、一れつ人間の成人に応じて、修理肥として旬々に仕込まれた教の点睛である。即ち、ここにいよいよ、親神直直のだめの教が垂示された。けだし、十のものなら九つまで教え、なお、明かされなかつた最後の一点、元の親を知らして、人類に、親神の子供たるの自覚を与え、一れつ兄弟姉妹としての親和を促し、親子団欒の陽気ぐらしの世と立て替えようとの思召からである。これを、

 このよふを初た神の事ならば
 せかい一れつみなわがこなり          四 62

 せかいぢう神のたあにハみなわがこ
 一れつハみなをやとをもゑよ          四 79

 せかいぢういちれつわみなきよたいや
 たにんというわさらにないぞや        一三 43

と教え、更に又、

 月日にわにんけんはじめかけたのわ
 よふきゆさんがみたいゆへから        一四 25

 せかいにハこのしんぢつをしらんから
 みなどこまでもいつむはかりで        一四 26

 このさきハせかへぢううハどこまでも
 よふきづくめにみなしてかゝる        一〇 103

と仰せられている。陽気ぐらしこそ、人間生活の目標であり、理想である。これを実現しようと、よふきづとめを教えて、たすけ一条の道をつけられた。よふきづとめの理は、実に、この元初りの真実による。

 ちよとはなしかみのいふこときいてくれ

 あしきのことはいはんでな

 このよのぢいとてんとをかたどりて

 ふうふをこしらへきたるでな

 これハこのよのはじめだし


おわり
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 親神は、この真実を明かし、一れつ人間に陽気ぐらしへの道を教えようとて、教祖をやしろとして表に現れられた。即ち、最初産みおろしの子数の年限が経つた暁は、元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようとの、元初りの約束に基く。

 にんけんをはじめだしたるやしきなり
 そのいんねんであまくたりたで         四 55

 このよふをはぢめだしたるやしきなり
 にんけんはじめもとのをやなり         六 55

 月日よりそれをみすましあまくだり
 なにかよろづをしらしたいから         六 56

 親神は、この約束により、人間創造の母胎としての魂のいんねんある教祖を、予めこの世に現し、宿し込みのいんねんある元のやしきに引き寄せて、天保九年十月二十六日、年限の到来と共に、月日のやしろに貰い受けられた。この人と所と時とに関するいんねんを、教祖魂のいんねん、やしきのいんねん、旬刻限の理という。

 この月日もとなるぢばや元なるの
 いんねんあるでちうよぢさいを         八 47

 このはなしなんでこのよにくどいなら
 たすけ一ぢようけやうのもと          八 48


つづく
 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。

 月日よりたん/\心つくしきり
 そのゆへなるのにんけんである      六 88

 このよふのしんぢつの神月日なり
 あとなるわみなどふくなるそや      六 50

 にんけんをはぢめよふとてたん/\と
 よせてつこふたこれに神なを       六 51

 この世の元の神・実の神は、月日親神であつて、月様を、くにとこたちのみこと 日様を、をもたりのみことと称える。あとなるは皆、雛型であり、道具である。更に申せば、親神は、深い思召の上から、その十全の守護を解りやすく詳しく示し、その夫々に神名をつけられたのである。

 しかときけこのもとなるとゆうのハな
 くにとこたちにをもたりさまや         一六 12

 思えば、親神は、この世人間を造られたばかりでなく、長の歳月、限りない親心をもつて、その成人を守護し、時に応じて旬々の仕込みをなされた。人類の成人とその文化の発達とは、悉く親神の篤い守護による。

 月日にわせかいぢううをみハたせど
 もとはじまりをしりたものなし        一三 30

 このもとをどふぞせかいへをしえたさ
 そこで月日があらわれてゞた         一三 31


つづく
 最初に産みおろされたものは、一様に五分であつたが、五分五分と成人して、九十九年経つて三寸になつた時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経つて、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経つて三寸五分まで成人して、皆出直した。そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経つて四寸まで成人した。その時、母親なるいざなみのみことは、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、につこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。
 その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残つた。この胎に、男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になつた時、親神の守護によつて、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るように、かたまりかけてきた。そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようになつた。次いで、五尺になつた時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになつた。

つづく
 更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、艮の方からふぐを、次々と引き寄せ、これにもまた、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと をふとのべのみこと たいしよく天のみこととの神名を授けられた。
 かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなつた。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた。そして、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に、九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込まれた。それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日かかつて、子数のすべてを産みおろされた。

つづく
 親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとして、この世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。
 この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。
 そこで、どろ海中を見澄されると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混つている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限が経つつたなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。
続いて、乾の方からしやちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさせて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々をうをとみとに仕込み、男、女の雛型と定められた。いざなぎのみこと いざなみのみこととは、この男雛型・種、女雛型・苗代の理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこととは、夫々、この道具の理に授けられた神名である。

つづく
 「さあ/\いんねんの魂、神が用に使おうと思召す者は、どうしてなりと引き寄せるから、結構と思うて、これからどんな道もあるから、楽しんで通るよう。用に使わねばならんという道具は、痛めてでも引き寄せる。悩めてでも引き寄せねばならんのであるから、する事なす事違う。違うはずや。あったから、どうしてもようならん。ようならんはずや。違う事しているもの。ようならなかったなあ。さあ/\いんねん、いんねん。佐右衞門さん、よくよく聞かしてやってくれまするよう。目の見えんのは、神様が目の向こうへ手を出してござるようなものにて、さあ、向こうは見えんと言うている。さあ、手をのけたら、直ぐ見える。見えるであろう。さあ/\勇め、勇め。難儀しようと言うても、難儀するのやない程に。めんめんの心次第やで。」と、仰せ下された。
 その日もまた泊めて頂き、その翌朝、河内へもどらせて頂こうと、仲田を通して申し上げてもらうと、教祖は、「遠い所から、ほのか理を聞いて、山坂越えて谷越えて来たのやなあ。さあ/\その定めた心を受け取るで。楽しめ、楽しめ。
 さあ/\着物、食い物、小遣い与えてやるのやで。長あいこと勤めるのやで。さあ/\楽しめ、楽しめ、楽しめ。」と、お言葉を下された。りんは、ものも言えず、ただ感激の涙にくれた。時に、増井りん、三十二才であった。
註 仲田儀三郎、前名は佐右衞門。明治六年頃、亮・助・衞門廃止の時に、儀三郎と改名した。

おわり
 やがて、まる三日目の夜明けが来た。火鉢の前で、お願い中端座しつづけていたりんの横にいたとみゑが、戸の隙間から差して来る光を見て、思わず、「あ、お母さん、夜が明けました。」と、言った。
 その声に、りんが、表玄関の方を見ると、戸の隙間から、一条の光がもれている。夢かと思いながら、つと立って玄関まで走り、雨戸をくると、外は、昔と変わらぬ朝の光を受けて輝いていた。不思議な全快の御守護を頂いたのである。
 りんは、早速、おぢばへお礼詣りをした。取次の仲田儀三郎を通してお礼を申し上げると、お言葉があった。
 「さあ/\一夜の間に目が潰れたのやな。さあ/\いんねん、いんねん。神が引き寄せたのやで。よう来た、よう来た。佐右衞門さん、よくよく聞かしてやってくれまするよう、聞かしてやってくれまするよう。」と、仰せ下された。その晩は泊めて頂いて、翌日は、仲田から教の理を聞かせてもらい、朝夕のお勤めの手振りを習いなどしていると、又、教祖からお言葉があった。

つづく
 明治七年十二月四日(陰暦十月二十六日)朝、増井りんは、起き上がろうとすると、不思議や両眼が腫れ上がって、非常な痛みを感じた。日に日に悪化し、医者に診てもらうと、ソコヒとのことである。そこで、驚いて、医薬の手を尽したが、とうとう失明してしまった。夫になくなられてから二年後のことである。
 こうして、一家の者が非歎の涙にくれている時、年末年始の頃、(陰暦十一月下旬)当時十二才の長男幾太郎が、竜田へ行って、道連れになった人から、「大和庄屋敷の天竜さんは、何んでもよく救けて下さる。三日三夜の祈祷で救かる。」という話を聞いてもどった。それで早速、親子が、大和の方を向いて、三日三夜お願いしたが、一向に効能はあらわれない。そこで、男衆の為八を庄屋敷へ代参させることになった。
 朝暗いうちに大県を出発して、昼前にお屋敷へ着いた為八は、赤衣を召された教祖を拝み、取次の方々から教の理を承わり、その上、角目角目を書いてもらって、もどって来た。
 これを幾太郎が読み、りんが聞き、「こうして、教の理を聞かせて頂いた上からは、自分の身上はどうなっても結構でございます。我が家のいんねん果たしのためには、暑さ寒さをいとわず、二本の杖にすがってでも、たすけ一条のため通らせて頂きます。今後、親子三人は、たとい火の中水の中でも、道ならば喜んで通らせて頂きます。」と、家族一同、堅い心定めをした。
 りんは言うに及ばず、幾太郎と八才のとみゑも水行して、一家揃うて三日三夜のお願いに取りかかった。おぢばの方を向いて、なむてんりわうのみことと、繰り返し繰り返して、お願いしたのである。

つづく
「喜怒哀楽」の「怒」と「哀」を無くすと、『喜楽』になり、心が真に『気楽』なるのだと思います。
『気が楽になる』と心が落ち着いておだやかになり、脳波はα波になり『陽気ぐらし』ができるのではないかと思います。

ひろ


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