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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『吾唯足知』
(われただたるをしる)

四年前の修養科の時、詰所の部屋の壁に書いてあったのを思い出しました。その時は意味がよくわからなかったのですが、“たんのう”に通じる言葉だと思います。

もしかしたら、神様がその時から“たんのう”を教えて下さっていたのかもしれません。

ひろ
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この世は、完全円満にできており、毛筋程も狂いのない理づめの世界である。ゆえに、成って来るすべての理(現象)は、すべてにおいて自分自身が前生前々生および今生において蒔いた種〔因縁〕通りに生じて来るものであるから、そのすべての理を受け入れて心に納め、納得、得心させていただくこと《たんのう》が大事なことだと思います。

そうして、日々を《たんのう》させていただいて過ごしてゆくことを続けてゆくことにより、すべての悩みや苦しみ、迷いや不安などが無くなって来る。
そしてかつ、一切の物事に不足をしないで、すべてに感謝をさせていただくようになって来ると、徐々に悪因縁は納消されて、心安らかな平和な楽しい陽気ぐらしの境地にたどり着けることになる。

『“たんのう”は前生因縁の“さんげ”』であり、究極の悟りなのであると思います。

『遠離一切顛倒夢想究境涅槃』(般若心経より)

ひろ
 慶応四年五月の中旬のこと。それは、山中忠七が入信して五年後のことであるが、毎日々々大雨が降り続いて、あちらでもこちらでも川が氾濫して、田が流れる家が流れるという大洪水となった。忠七の家でも、持山が崩れて、大木が一時に埋没してしまう、田地が一町歩程も土砂に埋まってしまう、という大きな被害を受けた。
 この時、かねてから忠七の信心を嘲笑っていた村人達は、「あのざまを見よ。阿呆な奴や。」と、思い切り罵った。それを聞いて忠七は、残念に思い、早速お屋敷へ帰って、教祖に伺うと、教祖は、「さあ/\、結構や、結構や。海のドン底まで流れて届いたから、後は結構やで。信心していて何故、田も山も流れるやろ、と思うやろうが、たんのうせよ、たんのうせよ。後々は結構なことやで。」と、お聞かせ下された。忠七は、大難を小難にして頂いたことを、心から親神様にお礼申し上げた。
隔離があまり厳しいので、その女房は(医者に診せるのは、殺されるようなものだ)と思い、(どうせ駄目なら最後まで自分の手で………もしかして助かるかも知れない………)と気狂いのようになって看病した。が、夫は寝返りもせず、ものも言えず、死人も同様だった。
その病人も(もう俺はあかん)と思った。しかし水が飲みたかった。飲んでも吐いてしまうことは知っていても、灼けつくような喉の乾きを辛抱しきれない。女房が細いかね筆で唇をぬらしてくれるくらいでは足らなかった。大きなコップで一杯ガブガブのみ干したかった。心で、眼で、「水をくれ」と叫んでも、「俺がこんなに言ってるのに、なぜわからんのか」と叫んでも、舌はこわばり頬の肉はひきつり、言葉にならなかった。その無念、残念、苦悶の中で、ふと思い浮かんで来ることがあった。「まま食べるのも月日やで………」自分が食い、自分が喋るのだと断言していた。が、それはまちがいだ。自分の力よりほかに、もっと大きな絶対なる力が働きかけているらしい、そうに違いない。こう思うと、これほどの真理を説かれる尊いお方を、(狐使い………)などと罵〔ののし〕ったことが申し訳なくて、お詫びの心が激しく動いた。すると頭に胸にはりこめられていた‘もや’が晴れ、しょせん全部とはいえないが、ともかくお言葉の意味がはっきりと悟れた。その瞬間、喉に力が入
り、舌が動き、頬がゆるんで、「水」とひと声叫んだ。
夫は死んだものと思っていた女房は、あわてて水差しを病人の口に含ませた。もう夢中であった。ガブガブと火のような喉に注ぎこんだ。もちろんすぐ猛烈な吐瀉を起こしたが、幾分かの水が腹に治まったらしく、それがきっかけとなって、瀕死のコレラからあざやかすぎるほどに全快してしまった。
神様は因縁あってこのお屋敷にお引き寄せなさるのであるから、わけがわからず帰って行った者にも、こうしてはっきりした‘しるし’をお見せ下されたのである。”(「みちのとも」昭和9年3月号。真実の道 一五○ページ。)
講元はありがたそうに頭を下げていたが、その人は何のことかわからなかった。歌を聞かせて貰ったのか、お説教を聞かせて貰ったのか、それとも馬鹿にされたのか―――。その中でも、馬鹿にされたという思いがはっきりして来ると、わざわざ京都から歩いて来たのが、無駄骨折りで、うわさ通り教祖様は「狐つき」だろうとひとりうなずいた。
帰り道は講元とは余り話もしなかったし、腹立ちまぎれで足は早かった。
「まま食べるのも月日やで、もの云うのも月日やで」、ただそれだけの言葉を幾度も幾度も口の中で繰り返してみたが、得心出来なかった。(自分でこうして歩き、自分で食い、自分で喋〔しゃべ〕っているのに………馬鹿なこというな)と舌うちをして、「狐使いめが、何をいう―――」とつぶやかずにはおれなかった。それから間もなくその人はコレラになった。

つづく
“明治十七年夏、京都の市民は猖獗(しょうけつ)を極めたコレラにおびえていた。深谷氏は、そうした市民の一人を連れて、真夜中に京都をたち、日盛りをようやくおぢばに着いた。連れられて来た人は、もともと「お詣りしておけば損はあるまい」というほどの、あてのない参拝だった。
真夏の午下り、三島の村のあたりには人影もみえず、お屋敷も灼けるような日の下にひっそりしていた。休憩所にゆくと、教祖様は上段の間で、横になっておられた。その人は講元である深谷氏と二人で下座にひかえていると、取次ぎの先生が、「京都からこれこれの二人が見えました」と教祖様に伝わる。二人が改まって頭を下げたとき、教祖様は身体を起こされ、
「まま食べるのも月日やで、もの云うのも月日やで、これわからんが、ざんねんざんねん」
そう仰っしゃったきり、また横になってやすまれた。それは美しい声であった。聞きなれぬ節まわしもついていた。

つづく
 教祖は、ある時一粒の籾種を持って、飯降伊蔵に向かい、「人間は、これやで。一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には、何万という数になる。これを、一粒万倍と言うのやで。三年目には、大和一国に蒔く程になるで。」と、仰せられた。
 明治七年のこと。西浦弥平の長男楢蔵(註、当時二才)が、ジフテリアにかかり、医者も匙を投げて、もう駄目だ、と言うている時に、同村の村田幸四郎の母こよから、にをいがかかった。
 お屋敷へお願いしたところ、早速、お屋敷から仲田儀三郎が、おたすけに来てくれ、ふしぎなたすけを頂いた。
 弥平は、早速、楢蔵をつれてお礼詣りをし、その後、熱心に信心をつづけていた。
 ある日のこと、お屋敷からもどって、夜遅く就寝したところ、夜中に、床下でコトコトと音がする。「これは怪しい。」と思って、そっと起きてのぞいてみると、一人の男が、「アッ」と言って、闇の中へ逃げてしまった。後には、大切な品々を包んだ大風呂敷が残っていた。
 弥平は、大層喜んで、その翌朝早速、お詣りして、「お蔭で、結講でございました。」と、教祖に心からお礼申し上げた。すると、教祖は、「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか。」と、仰せになった。弥平は、そのお言葉に深い感銘を覚えた、という。
『まま食べるのも月日やで、もの云うのも月日やで、これわからんが、ざんねんざんねん。』
『日々は喜んで通らして貰うのやで。喜べない様な日もあろう。喜びにかえて通らして貰うのやで。真実の心で通らして貰えば、喜べるのや。誠の心で通ってくれ。日々通らして貰う心の使い方、持ち方、よう思案してくれ。心の使い方によっては、徳にもなれば、埃にもなるで。真実や、誠やと思うて通っていても、その真実誠の中に埃がまじるのや。それを誠の中の埃というのやで。心の使い方というても、我が身思案からの通り方と、人に救かって貰う、喜んで貰う通り方とがあるのや。塵一つ拾うても誠。大きな木取り片づけても真実といえん事もある。日々よう思案してくれ。誰れにでも通れる事やで。心の持ち方、思い方が大事やで。心の思い方というても、人間はあざないものであるから、都合の良い様に考え、又は思い、我が身に都合の悪いことは、そうはいかんというてしまう。そんな事では道はつくはずがない。都合の良い事も悪い事も、心一つに治めて通ってくれ。神様がきっと連れて通って下さるで。一つも心配いらんのやで。日々通る中に、どんな中もあろう。難儀な中
、むずかしい中、そのならん中を喜びにかえて通ってくれ。その中にご守護が頂けるのや。無理と思うてはいかんで。たいそうに思うやないで。喜びにかえて通って行く中に、あゝ結構やった、有難かったと思える日が必ずあるのやで。その日を楽しみに通ってくれ。今の苦しみは先の楽しみやで。日々を喜んで通らして貰いなはれや。』

これは、明治八年六月十四日、桝井伊三郎氏がお屋敷へ詣り、教祖に、「心が晴れ晴れと致しませんので………」と申し上げたところ、教祖がお話して下さったお言葉だそうです。(「しあわせを呼ぶ心」尾崎栄治著 善本社刊より)


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