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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\よう聞き分けねば、分からんで。結構々々で道を通る。たゞ結構では分からせんで。心々、神一条の道は誠一条の道を分かりてくれねばならんで。心一つ定めてくれねば分からんで。世上にどんな事があろが、心一つの心で通れば、よう通れるで。誠さい定めて居よなら、独り救かるで。』(M20.11.16 おさしづ)
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『さあ/\/\身の処に/\、さあ/\分からずして胸の内しいかりして、所々に一つ、今の処大き事は大きと思わず、心々。他の錦は要らん。心の錦、真実の錦を心に置き、傍の錦は何にも欲しいはない。心の錦を欲し。真実の道を弘めば、他の錦はすぅきり要らん。心にほうと思てはいかん。日々の処一つの思やんを定め。又々の道をしたら、二度三度ではいかん。又心に錦を置くよう。又々一つの話として置く。』(M20.11.13 おさしづ)
『さあ/\身の内の処よう聞き分けねばならん。さあ/\神の方には不足の身体は貸してない。不足というは、めん/\の心より。成程結構という事は分かるである。一寸道歩く。あゝ綺麗な花やなあと言うて通ったまで。さあ誠一つ願う時の心定めねばならん。内々めん/\身に知らす。』(M20.11.08 おさしづ)
『さあ/\暫く/\。大抵の処運び切り/\、今までの処、分からなんだ。分からんなりに運び来た。天然自然誠という事、天然自然の道失わさん。心一つ映して、成程の処へ諭して分かる。大層々々の処、こうして運べ。さら/\癒さにゃならんならん。あちらからもと言うて、組み立てる。固めねば治まり付く。案じる処無い。身上一つ尋ね出る。日々送る処、年々に送る処、日々の日一日の日でも、うっとし日もある。それでもやはり、送らにゃならん。』(M20.11.02 おさしづ)
『さあ/\、よう聞き分け。尋ねる理、運ぶ順序の理、何程頼めども、何程尽し願えども、身適わんと言うても、何程身を堪えられんと言うても、拝み祈祷するやなし、柔らこい話で理を聞き分けば速やかなるもの。めん/\に取りて一つの理早く聞き分け。内の理と外の理と聞き分け。内の身と世界の身の内も皆かりもの。それ世界に、人に見せられん、見るに見られんと言うもある。前世のいんねん/\と言うても、分かりゃせん。』(M20.10 おさしづ)
悩みや苦しみは、前生因縁の通り返しであり果たしであり、また日々の心づかいのほこりが表れてきたものであるが、これこそが“神様の親心(愛)の表現”であり、人間をなんとかして成長させ、成人に導いてやりたいと思召された『神様のご守護(恩恵)』なのである!!

だから、なんで?どうして?あれがいけなかったのか?これがいけなかったのか?誰が悪い?彼が悪い?などと、あれこれと悩む必要はまったくないのである。
結局は、「前生や今生の天の理に沿わないほこりの心づかいが原因である」のだが、『“成って来る理”というのは、“神様の親心(愛)の表現”であり“神様のご守護(恩恵)”なのだ!!』ということである。
ゆえに『天の理』というのは、『神様のご守護(恩恵)の理』なのである!!

それゆえに、日々の上にいかなることが起こってきても、『すべての成ってくる理に不足せず、常に“たんのう”(感謝、喜び、満足)の心をもって陽気に生活させていただくことが、最も大事なことであり、それこそが“運命の転換”、“因縁の切替え、納消の道”なのである!!』

※これは、自分自身に言い聞かせていますので、断定調になっています。

ひろ
『さあ/\、身の処/\尋ねる処/\、身の不足々々なりて尋ねる。すっきり聞き分けば、分からんでなし。世上見て理を聞き分けと言うて分かるまい。世上見て身の内かりものと、世上皆映してある。人間は皆神の子供と、をやは皆救けたいと、人間身は皆かしものと、心を我がものと、心通り、皆世上へ映してある処見て、めんめんもあんな身ならなあ、と思うてすれば、めん/\たんのうとの心勇む。強いて言うて置こう。』(M20.10 おさしづ)
『さあ/\身上尋ねる。しいかり聞き分け。これまでどんな話も聞いて居ても、理を聞き分けねば、何にもならん。一つの台を拵え。人々に諭すには、内に台というもの拵え。睦まじいとの、内々に睦まじいという台を拵えて、それより世界伝え。何処から見ても成程と言う。世界から成程と言うは天の理や。心に誠一つであれば、これが往還道や。めん/\これからや。未だ/\との心を定め。』(M20.10 おさしづ)
『どういう道すがらの道、真実あればこそ一つの実正なる処、成程々々これまでこう聞き分け。銘々ほんに成程安心と思えども、安心出け難ない。かしものに不足沸かしてある。これだけの一つ事情理を聞き分け。かりもの一条をよう聞き分け。理を聞き分けて世界皆兄弟の理分からずでは、見るに見られん。不自由して居る。身の迫り難儀する者も同じ兄弟。かりもの世界の順序身の一条、早くいかなる事情分かる。世界そうもならん。不自由でならん。成る者も成らん者も、難儀する者も、同じ兄弟やで。銘々日々兄弟なれば一寸一つやれ/\可哀そう心を定め。知らん間は何も分からん。理を聞き分け。聞きたる処誠存心定め。ほんに良かったなあ、誠やなと、一寸悩み速やかなら、直ぐに尋ねに出るよう。』(M20.10.23 おさしづ)
著者はキリスト教の教会の神父さんなのですが、これは、お道における“たんのう”に通ずるものがあるようにも思います。
なかなか、“たんのう”の実践というものも、ひじょうに難しいと思いますが、こういうふうに段階をおって、日にちを切って実践してみることは、すごく画期的な方法だと思います。

やり方としては、「やる!!」と決心した日から、どちらかの手首にゴム製のブレスレットをはめます。(希望者には無料でブレスレットを配布しておられるようですが、別にゴムバンドでもなんでもいいようです。)そして、自分が“不平不満を言ってしまったと認識したら”ブレスレットを反対の手首に付け替えて、また最初からやり直す。ということを繰り返します。なかなか、21日間連続して一切不平不満を言わないというのは、ひじょうに難しいことだと思います。
早い人でも、だいたい4ヶ月くらいかかるみたいですが、真剣にやるとだいたいの人は8ヶ月くらいで達成できるみたいです。
やる前は、なんだそんなことくらいと思うようですが、実際にやってみると、びっくりするくらいに難しいのです。
家族やグループでできればお互いに教え合うということができるかもしれませんが、素直になって実践することが大切で、自分自身に固執してしまったり反発してしまうようだったらやらないほうがいいと思います。

僕自身は、理の子をお与えいただいてから、“一切腹を立てない”と心定めをさせていただきましたが、現在で一年四カ月くらい経っています。まだ完璧とは行かないですが、ほとんど腹を立てることがなくなりました。何事も続けることが大切で、実際に「21日間一切、不平不満、愚痴、悪口などを言わない。また、腹を立てないなどを実行きれば」、必ず生活に変化がみられ心が安らかになり運命も変わってくると思います。

ひろ


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