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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\よう聞きて置かにゃならんで。どういう事情も聞く。何たらした事も聞く。誠というものは、案じは無い。元々五十年前からの道、めん/\何箇年前より/\、元事情諭する。幾重の道がこうなりて、重々の道伝え。又々、順々の道を知らそうと。』(M20.12.02 おさしづ)
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『沢山な水にて少しの濁り水を入りたとて、何処濁りたように無し。この水は用いらりよ。少し水ならば、少しの濁り水にても、これは一面に濁ろう。この理をよう思やんしてみよう。心に合わん気に合わんという事は、いつも心に合わん気に合わんと言うて居た分にゃ、いつも心にも合わにゃ気にも合わん。その気にも心にも合わん処だけ除りたなら、心にも合や気にも合う。さあこゝをよう思やんして、人の悪き処だけ除りて我が心包み、善き処だけ出して、何事も事治めるよう。』(M20.12.02 おさしづ)
また今日は、ヤフー掲示板の記事を少し変えて転載させていただきたいと思います。m(_ _)m

村上和雄先生は、宗教をもたない一般の人にも理解できるようにと、この度『アホは神の望み』(サンマーク出版刊)というご本を出版されました。今までのご本でももこのご本の中にも、神様のことを『サムシング・グレート』と表現されていて、遺伝子の研究を通して「何か未知のすごい力が存在していることを疑わずにはいられない」というふうなことをおっしゃられています。
我々は、『その未知なるすごい力』を神様と認識させていただいていて、そこに『かしもの・かりものの理』を認識させていただいているということなのです。
そして、息をする、食べる、見る、聞く、話す、手で何かをする、歩く、走るなどのすべてを御守護(恩恵)をいただいていると認識し感謝させていただいていて、又、病気や事故、あるいは様々な悩みや苦しみは、実は『人間が成長していくために神様が与えて下さっている愛のメッセージ』であり、これらのこともやはり『神様の御守護(恩恵)』なのだというふうに認識させていただいているということなのです。m(_ _)m

ひろ
『さあ/\/\尋ねる処/\事情、さあ/\めん/\身上の処一つ/\これも誠々めんめん身上に遇うて成程という心無くていかんで。めん/\身の処、又一つ又一つ、だん/\に掛からん事には分からん。通る道に、ほんに成程と思た時の一つの心忘れぬようと、生涯の心定めねばならん。五十年以前から天理王命と称する処、どんな道ありた処、踏ん張りが第一や。』(M20.12.01 おさしづ)
『さあ/\身の処いかなるや/\、内なる処さあ/\よう聞き分けん事にゃならん。さあどういう事や知らん。難し、どういう事や知らん。さあ/\いかなるや/\ぢばにてもいろ/\と千筋や。さあいかなるや、あちらからどうやこちらからどうや、今のは一番正当である。さあ人が何事言おうとも自分一人の心さい定めるなら、今ま
では長々の道でありたが、今までにどんな話いかなる話も聞いて居る通り、さあこの話いつの事やらと思い、さあ心定まり次第何時見えてやら、さあ心定まり次第、さあ今はいよ/\心定めとの事、身に知らし。さあこれを家内中それ/\へ諭すよう。心で思う通りの守護という事も諭したるは今の事。さあ心次第に直ぐと現われる。どうせこうせは言うのやないで。そこは銘々の胸次第。』(M20.11.22 おさしづ)
『さあ/\/\/\いかなる処/\事情一つ、さあ/\事情道すがらを通して道に一つの事分からん。だん/\通り来たる処順々の道を知らそ。さあどういう道どんな道通りて定めた処、どういう処も尽す/\。よう聞き分け。どうなろうか/\と思う。その中に、誠一つ運ぶ。一つ兄弟々々の処なら、どういう道すがらもある。これも兄弟ならと尽す。これもどういうものなら、又、どういう事も内々の処へ中なる処も尽し、理を分からんでない。内々の処それ/\の処映し、善の処は随分弱いもの。善というものは弱いよで強いもの。弱いよなもの、年々続く天の理である。これさい分かれば速やか直ぐ、明らかのもの。我がものと思いながら、我がまゝならんのが天のもの。我がまゝならんのが、天のあたゑや。直ぐと分かる理がある。真実聞き分けば、分からんでない。さあ/\どんな道もこんな道も、ほうとした道も、通りた実を定めば、実々の楽しみ。実を定めた証拠、先々の楽しみ、これを真と思うなら、実々を分かる。世界を眺めて救ける処、十分のさづけ渡そ。あしきはらいたす
けたまへ天理王命、三遍唱えて三遍撫ぜ、返やして三遍、さゞん九遍撫ぜてやれ。』(M20.11.21 おさしづ)
『さあ/\身の内の処、この理はどういう処、大抵成る成らんの道も通り、一つは銘銘の多くの中、その中まあどんと気掛かり、あちらからもこちらからもどう、兄弟の中からもどう、さあすうきり何も彼も苦がすうきり遁れたるで。さあ道は一条であるで。さあ尋ねに来る。一寸一つの道の処、一寸伝える処、心に合わん気に合わん。これだけの道があれば、これだけのこうのう。さあいかなる処も道にじゅんじてのこうのう。こゝをよう思やんして伝えるよう。さあ兄弟の処も気ならんと思う。一人の処、先に話した通り、だん/\と心片付くについて、さあこれも心が休まるよって、何かの処、よう思やんしてくれるよう。』(M20.11.20 おさしづ)
『さあ/\いかなる処も、理を聞き分け。大抵々々年限も分かりてある。最初一つの道を分かり難くいものである。年限それ/\だけ分かり来る。世間の処どうやこうやとだん/\に悪風も聞いて越して来てある。けれどもだん/\の道聞いたる処分かり来てあると思て、楽しみは内々皆々々の処もこれへ結構となるのさしづして置こう。』(M20.11.19 おさしづ)
『さあ/\いかなる処、精神上、今までの処何でも/\という精神受け取りたるで。何でも/\と思えば根が差す。根が差せば、根から芽が出る。成るだけ/\ひそやか/\として、心を何も彼も扶け合いの心定め/\。よう/\道がある/\。心一つ治まりがある。誠が心の錦である。内々の処へも伝え、いつ/\までも忘れぬよう。』(M20.11.18 おさしづ)
『さあ/\身の処何ぼうでも判然ならん/\という処、一寸の印あればたんのうという印拵え。踏み留めるはたんのうが踏み留めやで。たんのうが前々の処のさらえやで。たんのが前々のさんげである。』(M20.11.17 おさしづ)


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