忍者ブログ
僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
[230] [231] [232] [233] [234] [235] [236] [237] [238] [239] [240]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今日は、平和堂集談所の春季大祭を勤めさせていただきました。
立教172年の春季大祭を迎えさせていただき、今年は年頭に新たな目標を二つ心定めさせていただきました。
一つは、先日から書かせていただいております、愛町分教会初代会長関根豊松先生の伝記やお言葉などを世に出させていただくことです。
資料も神様がたくさん与えて下さいました。これは、僕に与えて下さった使命と受けとらせていただきまして、真の天理教をお伝えさせていただきたいと思っています。
資料としては、『因縁に勝つ』、『赫ける神人』などの貴重なご本、そして、『愛町分教会初代会長のお声』という幻のレコードもお与えいただくことが出来ました。

時間の許す限り精一杯、『天理教の至宝』とまで讃えられた関根豊松先生のお言葉などをお伝えさせていただきたいと思っています。

そしてもう一つは、平和堂集談所第一号の『よふぼく』誕生です。

明日、八席目を運ばせていただきますが、順調に満席を運ばせていただき、尊い『おさづけの理』を戴かせていただきたいと思っています。

ひろ
PR
このお道は、自分で聞いて自分で信仰したんじゃない。神様が引き寄せていなさるんです。それ証拠にですね、お道を聞き始めてこれを嫌っている人にいいことが一っつもございません。こりゃもう私はたくさんあつかって知ってるんです。ですから、この道は自分で聞くんじゃないんです。神様が引き寄せていなさるんです。かよう申し上げると、なんだか天理教をすすめるようですが、こりゃすすめてるんじやないんです。確かにそうだから私は皆さんに話をしてるんです。これを嫌った人に、満足に通ってる人はないんです。私はもうどのくらい人をあつかってるか知れません。東京で大教会になるまで、大教会の先代の会長さんと一緒にやったんです。先代の会長さんが二軒長家の片っ方を借りて、煙草問屋の主でした。ご夫婦でお道をやって、息子さんはたいへん嫌っておいでになった。そこへ私が行きまして、まだ小さい時代でした。ようやくものごころを覚えた時代でした。そこへ行ってお手伝いしたんです、九つくらいでした。またひじょうーにかわいがって下すった。まぁ、今考
えるとこれが人間じゃなかった、神様がかわいがって下すったんだ。そういうことがはっきりしてます。

つづく
その時、背後にことが立っていた。「おお…天理の先生…おらぁ…ずっと待ってましただ…もう来てくれるかもう見えるかと…昨夜十二時…小用に起きようとしたら…起きれた…歩けたよ…ほらこの通り…治ってしまっただ…嬉しくて嬉しくてなぁ…みんな先生のお蔭だぁ…」老婆はむせび泣いている。「おおそうだったか…神様…有難うございました…」先生も、わっとその場に泣き伏した…。「先生…おらが沸かしたお茶だ…飲んでくんろ…」ことが嬉しそうに運んでくると、先生はことの顔に目を遣った。「よくぞ…そのように助かってくれたなぁ…」庭先に落ちている短刀を拾い上げ―「おおこれは…」と察した弥八は、たまりかね目頭を拭うて、「先生!」と、差し出す。「弥八つぁん…間違いなく神様はあったねぇ…」先生は彼の手をぐっと握る。そこへこそこそ入って来た弥四郎は、諸手をついて、「先生…どうか勘弁して下せぇ…俺ぁすまねぇ…すまねぇと…何とお詫びしょうかと…先生を迎えに行って…道端で土下座していただぁ…この通りですだ…許して下せぇ…」と言うや泣
き崩れた。弥八―「お父っあん…ほら見ろよ…これ先生の短刀だぁ…」弥四郎―「ああすまねぇ…」感激と涙で紅潮した先生の、「いいんだよ…いいんだよ…それより皆さん…神様のご自由用が分かりましたか…」の言葉に、一同は庭先に平伏して只低頭するのみだった…。臼田ことの息子弥八は後布教して大生分教会初代会長となった…。

おわり
この時来ていた久保清次郎会長に、危惧を抱く町田は事の委細を告げた。「大丈夫だよ…豊ちゃんの事だ…安心してお帰り…」と諭され、町田は家路についた。深夜、只独り先生は神前に平伏した儘―「親神様…糀谷のおことさんを…どうぞ助けて下さいまし…助からぬ際は一命捨てますが…豊松決して命が惜しいのではありません…あの羽田村に尊い親神様の道が開けます様…何卒自由用の理をお見せ下さい…」と、一心にお願いをした。時計が十二時を打った。稍あって、先生は神前の箱より一振りの短刀を取り出し、砥石で研ぎ始めた。後ろから会長が熟と見ていた…翌朝、朝勤めを済ました先生が挨拶すると、会長は、今日だけは外出しない様止めた。「先生…どうでも行かねばならないお助けがあるのです…やらして下さい…」「どうしてもか?」「はい…」両者の目がぴったり合った。深い思いやりの眼差しで―「それじゃ行ってこい…」「逆らってすみません…」見送る会長―「豊ちゃん…神様はあるよ…」懐の短刀に手をやって、先生はぐっと振り返った。弥四郎の家に駆け付ける
と、座敷はひっそりして誰もいなかった。「ご免下さい…」おや?もしや?ああ―駄目だったか―と、先生はよろめいてがっくり腰を落とす。その拍子に懐の短刀が滑り落ちた。「神様…申し訳ございません…豊松の誠が足りなかった事を…どうかお許し下さい…」床の間の水玉に向かい先生はうなだれて神様に詫びた。

つづく
その時―「なあ…神様に拝んで貰うてくんろ…」と、寝床からことが言った。弥八が横から―「父っあん…お婆ぁもああ言うでねえか…先生の仰る通りにしてくんな…」と頼んだ。弥四郎―「そんなら三日だけ拝ましてやろ…」―「おい…若えの!良くならなかったら…きっと腹切って貰おうぞ…」又五郎は念を押した。「皆さん…心配はご無用…では神様にお願いしましょう…」茶碗に水を汲んできて床の間に置かせ、先生は町田、弥八と共に恭しく神様にお願いした。そして声高らかに病人にお授けを取り次いだ。道無き方に道を付ける為の壮絶な捨身のお助けが始まるが、何とした事か、病人は次第に悪化して行く。三日後老婆の家を訪ねた。老婆の臥所へいき、先生は、「心配しなさんな…治まりますぞ…」と声をかけた。弥四郎はむっとして―「おい!若いの!今日は約束の日だ…助かる処か前より悪くなったじゃねぇか…さあ腹切って貰おう!」と迫った。自若たる先生―「仰る通り三日目ですが、今夜の十二時迄の事…もし十二時過ぎて良くならない時は…口約通り…潔く腹切りまし
ょう…」「若いの…セリフは中々いいが…その場に及んで卑怯な真似はさせねぇぞ…いいか…」「爺さん…この豊松…二枚舌は使いません」先生と町田は大森の布教所へ帰った。「先生…あんな事言って…本当に大丈夫ですか?」町田は心懸かりでならない。先生―「大丈夫…心配せんでいい…神様はあるよ…」二人は神前でお願い勤めをした。

つづく
「お父っあん…お婆あは入院させる事はねえ…この先生に助けて貰やええんだ…」弥四郎―「お前!何のこった…今から入院させる病人をどうして助けてくれる?」町田が父子の中を割って、「まあまあ…落ちついて…実はこのお方は天理教の先生で…」と言うと、二人の顔色はさーっと変わった。「何?天理教だと…」又五郎はずかずかと詰め寄った。先生は動ぜず―「天理教ならどうなんですか?」と聞き返した。又五郎―「俺ら…気に入らねえ…」「気に入る…気に入らないの時じゃないでしょう…婆さんの事を聞いて…どうでも助けて上げたいと…お邪魔したのです…戸板に乗せられている病人がまだ連れ出されてないのは…神様が助かるとお教え下さっているのです…どうか皆さん…神様にお願いしてお婆さんを助けて上げて下さい…」又五郎―「何だと?若いの…生意気な…医者も難しい病人を…やすやす助かるとぬかすな…」弥四郎―「そうとも…若えの…そりゃ本気で言う事か…」先生―「勿論です…天理教の布教師は嘘は言いません…私が助けるのじゃありません…神様が助けて
下されるのです。…どんな難しい事でも…誠真実の心で親神様にお縋りすれば…きっと自由用を頂き助かって頂けます…」弥四郎―「へん…天理教の裏の柿の木で首吊り給えの話なんぞ…聞くに及ばねえ…婆さんは今日明日の難しい命だ…お前に構っていられるけえ…」「助かればいいんでしょう?」「そうよ…お前に助けられるんか?」「はい…助かります…」「そいつは面白い…じゃ何時治してくれるんだ?」「三日三夜のお願いで助かります」「何?三日だと!冗談言うなよ…もし三日の間にお婆あが死んだら…お前どうする?」「大丈夫です…お婆さんの命は私が引き受けます…もし三日三夜経って良くならなかったら…この豊松…腹掻き切って見せましょう…」厳めしい先生の毅然たる態度と決意に、弥四郎、又五郎も言葉に窮した。

つづく
明治三十七年秋―東京郊外の静かな羽田村糀谷(今の東京国際空港の辺)は代々日蓮宗が盛んで道の付かないところであった。農夫臼田弥四郎の家では六十二歳の妻ことが五年も肋膜を患い、病床で呻いていた。掛かり付けの川崎の菱沼という町医者から、「もうわしの手に負えん…東京のええ医者にわしが頼んどくがな…そこへ入院させてくれんかな…」と手離された。「えらく金がかかりますでしょうが…」とためらいながらも、「それじゃ先生…お願いします…」と夫、その弟又五郎は同意した。弟は早速病人を運ぶ戸板を用意した。弥四郎は奥の間に臥せる妻の床へ行った。「おこと…苦しいか…お前東京のええお医者へ行くんだ…心配することあねえよ…」と話すが、病人は、「おらぁ嫌だ…町の病院は嫌えだ…ここで治してくんろ…」と拗ねた。その時、楽しそうに跳ねながら帰ってきた孫の次郎が、戸板に乗せられた祖母を見て、事情を聞くや、「お婆ちゃん…連れて行くのは嫌だ!」と泣き付いた。その日近村の奥島宅は神様の祭典日で関根豊松先生が来ていた。まだ二十四歳の血
気盛んな青年だった。弥四郎の長男弥八は、母の重病を助けて頂こうと町田某に誘われ奥島家で先生に会った。早速翌日先生は臼田家を訪れた。道々、町田は心配そうに、「先生…この村は法華宗でして…天理教は猛反対なんですよ…」と言うと、「そうかい…そいつは面白いな…豊松身を捨ててもこの村に教祖の道を付けよう…」と先生は答えた。二人が家に入ると弥八は言った。

つづく
『さあ/\尋ねる事情、一度一つ身上正しく運び、道々たすけ一条という理聞き、一つ心早く聞き分け。多くの中に一つの理、所々一つの事情、それ/\尽す処の理受け取る。又一つたすけ一条一つのこうのう、一つの心治まる。一つの理分からんという理聞き分け。難しいは言わん。どうせいとは身のかりもの、治まる、治まらん、真実誠救ける心、誠の心あれば内々一つ十分の理治まれば、内々は一つの理が治まる。多くの中に、それ尽す処、成程なあの人、成程の理、それ/\銘々誠の心、世界一つの心、自由自在、内々睦まじき、成程定まり一つの理という。いつとも言わん。ほんに今日なと心勇む。ほんになあという一時尋ね。』(M21.01.12)
本年も毎日ブログの更新を頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します!!

本年は、二つの目標を心定めさせていただきました。どうか皆様楽しみにしていて下さい!!ヾ(*゜▽゜)ノ

ひろ



『さあ/\身の処尋ねる。一寸の身の不足、願えども聞けども、一つ判然の理分からん。多くの中一つさしづ、世界々々、一つさしづ思う。一国限り一軒一人限りの理、心掛かり/\の処、身は速やか。実一つの理を尋ねる。順序何がある、よう聞き分け。頼む願う理が無い。何でも一つの理を案じる、何程でも案じる。幾重残らず、神の守護何程、たすけ一条。難儀さそう、不自由さそう神は無い。めん/\一つ一ついかん。一そうもう一つ、一つの理がある。どんと一つ据えん。世上見てたんのう、この心一寸治めてくれるよう。又や/\一つ心を運んで安心心定めるで。理を見にゃならん。』(M21.01.12)


忍者ブログ [PR]
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア