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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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それから、深く深く神様にお詫びさせていただき、僕自身の体調は戻りましたが、どうも理の子がおかしくなってしまいました。
『おさづけの理』の拝戴の時のお供えがないというのです。ちょっと前まで、ちゃんと貯めていますと言っていたのですが、さあっとなったので聞いたところ、お金がありません、使ってしまいました………っと。

もう僕は唖然としてしまい、厳しく叱りました。そしたら、四ヶ月にわけて返すから貸してほしいと言ってきました。先日僕がしんどくなってしまったのは、その時に貸してあげて、「とにかく先におさづけの理を拝戴させていただこう」と思った時からでした。
しかし、これはあまりにも『理』を軽んじているということに気付かせていただきました。“この世で生まれ更わらさせていただき、これから先、末代たすけていただける尊い『おさづけの理』”を軽んじでいたことを深く反省させていただき、神様に深く深くお詫びさせていただきました。

それでその後、理の子に対して、やはりお供えを貸すということは出来ないので、その返してくれる予定の四ヶ月先に『おさづけの理』を拝戴させていただくことを延期しようという話を持ち掛けました。
しかし、神様にお供えするお金がおしいのか?「おさづけの理をいただくのにお金(お供え)がいるというのは矛盾している」というようなことを言い出しました。
それで、また真剣になって厳しく叱りました。
そして、何回かにわけて理を諭しました。しかし、もう暴走状態が止まらず、一旦ほっておくことにしました。
別席途中なら、まだ理解はできるのですが、ここまで成人させていただいた上(満席)での勝手気ままなので、何か神様のお手入れをいただくことになると思います。

つづく
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そうしたら、2月6日に予定していた満席を「5月まで延期して欲しい………」とか言って、わけのわからないことを言っていたはずなのに、いきなり!なんと!明日の2日に!、別席に連れて行って欲しい(2月1日の話です)と言って来ました。
僕は、ほんとにびっくりしましたが、「ああ、ええよ!」とOKしました。
それで、予定よりも四日早い満席を運ばせていただくことができました。

なんだかわけがわからなかったのですが、神様は僕に節を与えて下さり、僕自身の心を試して下さったのだなあ…、というふうに思わせていただいています。
誠にありがとうございました!!m(__)m

そして、なんとか今月中に順序とおさづけの理を拝戴させていただけるようにがんばらせていただきたいと思っています。

………………………………

と、ここまでは、4日の記事のつづきなんですが、またまた、今日(4日)、理の子が再び暴走してしまいました。
しかし、やはりなんか変わって来ているようで、厳しく叱りましたが、素直に謝ってくれました。
だけど、毎日々々がいっぱいいっぱいだったのと、まだまだ僕の真実が足らないために神様に叱られたようで、ついに僕自身がしんどくなって一日寝込んでしまいました。

つづく
どうも、頭の病気及び気の病はとにかくもつれるとお聞きしていましたが、やっぱりそう簡単には前に進めないようです。もしかしたら、おさづけの理の拝戴は、もっともっと先になるかもしれませんが、とりあえず昨日の記事のつづきを書かせていただきます!m(__)m

………………………………

ここまで来て………と、思っていましたが、どうにも仕方がないので、しばらくほっておいたところ、またまた電話があり「先生…、先生に逆らってから、ましになっていた足がすごく痛くなり、その上にまたいくら薬を飲んでも眠れなくなってしまいました。先生、どうか助けて下さい…」と謝ってきました。
しかたがないので、家に来てもらい、おさづけを取り次ぐと足の痛みがとれて、夜も眠れるようになり鮮やかな御守護をいただくことができました。そこでまた、厳しくお諭しをさせていただいてしばらくは調子が良かったのですが、強情で勝手気ままで我が儘な癖性分が強い方で、なかなか難しく、再びメールや電話を切ってしまっていました。
その時はすでに、別席を八席まで運ばせていただいていましたが、もうどうしたらいいのか?わからなくなってしまい、僕までしんどくなってしまっていました。

ところが、これは、そう簡単に満席は運んではいけないという節をいただいているのだというふうに悟らせていただいて、神様に自分自身の至らなさを深く“さんげ”させていただきました。
そうしたら、いきなり翌日理の子から、普通に「先生、今から行ってもいいですか?」と電話がありました。なんかほんとに不思議な感じがしましたが、とにかく、神様にハ・イ・オ・ク(腹を立てない、イライラしない、怒らない、クヨクヨ悩まない)を誓っているので、すぐにOKしました。

つづく
満席を運ばせていただいた理の子について少しお話をさせていただきたいと思います。
その理の子は、もう三十年前から知っている後輩なのですが、約二十数年くらい前から、頭が賢すぎて気の病になっちゃった方なのです。
ちょうど一昨年の六月(集談所のお許しをいただいて一ヶ月過ぎたくらい)からお世話をさせていただくようになったのですが、今では、当時とは見違えるくらい別人のように有り難いご守護をいただいています。
頭の方は、まだもう少しすっきりとは行きませんが、薄紙を剥ぐようにですが確実に良くなって来ています。また、来た当時はずっと水を抜いてもらっておられた右膝の痛みが、ほぼ毎日、おさづけを取り次がせていただいていたら、半年くらいで完全に治りました。そしたら今度は、右足をかばって使っいた左膝も水をぬかなければ痛くて歩けなくなってしまっていました。
しかし、ほとんど毎日おさづけを取り次がせていただいていたら、現在はその左足もほぼ完治しています。ここ十日くらい前から、毎日4~5kmは楽に歩けるようになりました。歩き初めは1kmくらいでしたが、楽に歩けるようになったのが嬉しいのか、無理をしたらあかんと叱るのですが、多い時には、8km以上歩いてしまう時もあります。

住んでいるところがわりと近いので、常々歩いて来るようにと言っても、なかなか言うことを聞いてくれずに、バイクか自動車で来ていました。
ところが、今年に入って少ししてから、なかなか大変なことをやってしまったので、厳しく叱りました。
そしたら、またいつものように(もう何十回となくやっていますが…)メールや電話を切ってしまい連絡不能になってしまっていました。

つづく
昨日、理の子が二人満席を運ばせていただきました。
一人はいわゆる気の間違いの子、もう一人はその方のお母さんです。
僕は、本当に有り難いことに別席のお話を27回聞かせていただくことができました。どうしてかと言いますと、まず初めは高校生の時に聞かせていただきましまが、この時は杖を持たずに歩けないとう理由で(これはご本部の意向か?当時の布教所の先生の意向か?どちらかわかりませんが…)“おさづけの理”を拝戴させていただくことは出来ませんでした。二回目は、五年前の修養科で、この時は、まったく歩くことができなかったのですが、ほんとうに不思議な戴き方で“おさづけの理”を拝戴させていただくことが出来ました。そして今回は、理の子が、「もしかしたら、僕は別席中に大声を出したり奇声をあげたりするかもしれないので、先生(と呼んで下さっています)、別席中ずっそばについていて下さい。」と言ったので、昨日の満席まで毎回傍聴願いを出させていただいて一緒にお話を聞かせていただいたという訳です。

そういう訳で、僕は別席のお話を27回聞かせていただいたということになります。o(^-^)o

なかなか長時間というのが難しいので、順序を運ばせていただくことと、おさづけの理拝戴は二回に分けて行かせていただくことになりました。
また、逐一報告させていただきますが、とりあえず満席を運ばせていただいたことに心から感謝させていただいています。

ひろ
一人一年経ったらこんな大きな教会をもつようになっちまった。ですから、これは確っかに人間技ではございません。かよう申し上げておきますけれども、皆さんも自分で信仰したっ…と、こういう軽い心を持ってちゃいけません。
教祖(おやさま)が引き寄せて、そうして道の信者に連れておいでになるんです。ですから、その教祖(おやさま)の思召しを精神的に離してはいけません。私は、未だに離しません。未だに離さんもんですから、こんな話ができちゃうんです。
『これを人間技と思うな、この世創めた真実の“をや”がつけてる道やで』、これは神様のお言葉で出てるんです。
ですから、人間技じゃないんですから、はなはだ失礼ですが、皆さんも信仰してる、信仰してるんじゃない、させられているんです。
神が魂を拵えた因縁にどんどんと引き寄せ、そうして道を聞かして下さっているんです。
かような訳ですから、お道が耳に入ったら、“断じて自分を許さない!!”ように心をかけて、心から教祖(おやさま)を信じてお通りになることが、一番大事でございますから、まあ一言申し上げておきます。どうもご苦労様でございました。(昭和42年3月25日)
誠に結構なお天気をいただきまして、誠に結構な祭典ができました。私は心から喜ばしていただいております。
どうか、この信仰は自分自らするんではございません。神様が魂の因縁で引き寄せ引き寄せしておいでられて、道の信者として信仰しておるのでございます。
ですから、もうお道が耳に入ったら、断じて自分を許しちゃいけません。
こらまあ、皆さんに話をするだけじゃあない、私もその覚悟で現在まで来ました。
八つ(満年齢、数えでは九つ)の時に道を聞かされ、もう八つからおたすけをしました。神様の信仰したら、おたすけしなくちゃいけない、こういうふうに思いましたもんですから、夜中に信者のところへ行って…。戸が閉まってますから、開けてはお気の毒様ですから地べたへ座っておたすけして歩きました。
ですから、そこまでやらんでもいいじゃないか…、そらもう今の麹町の先代の会長さんあたりからずいぶん言われました。まあ豊松はバカ野郎ですから、黙って見てて下さい。そうしてやっておりました。
それが何より証拠、こんな大きな教会の教会長に座らされちゃった。こりゃ自分で座っちゃうんじゃない、自分で座ろうたって座れません。神様が、つけてる道ですから、人間の力ではございません。神がここへ座らして下さったんです。
東京でもさんざんやりました。講社もずいぶん拵えてきました。その講社もみんなにやって私はこっちへ来たんです。

つづく
 天保九年十月二十六日、齢四十一歳を以て、月日のやしろと召されてからは、貧に落ち切れ、との思召のままに、貧しい者への施しにその家財を傾けて、赤貧のどん底へ落ち切る道を急がれた。
 この行は、家人や親戚知人に、理解され難く、厳しい忠告や激しい反対のうちに、十数年の歳月を重ねられた。かかるうちに、夫は出直し、一家は愈々どん底へと向つたが、この大節のさなかに、一身一家の都合を越えて、同年、末女こかんを大阪に遣し、天理王命の神名を流された。
 このように、常人の及ばぬ信念は、却つて人々の冷笑を呼び、離反を招いて、遂には、訪ねる者もなく、親子三人で食べるに米のない日々を過された。父なき後、一家の戸主となつた秀司は、青物や柴の商によつて、日々の生計をはかつた。しかも、教祖は、かかる中にも、人の難儀を見ては、やつと手にした米を、何の惜気もなく施された。
 或る年の秋祭の日に、村の娘たちが、今日を晴れと着飾つて、嬉々としているのに、娘盛のこかんは、晴着はおろか着更さえもなくて、半分壊れた土塀のかげから、道行く渡御を眺めていたこともある。又、夏になつても吊るに蚊帳なく、冬は冬とて吹きさらしのあばら屋に、あちらの枝を折りくべ、こちらの枯葉をかき寄せては、辛うじて暖をとり、点す油にこと欠く夜は、月の明りを頼りに、糸つむぎなどして過されたこともある。
 十年に亙る長い年月の間、かかる窮迫の中にも、教祖は、常に明るい希望と喜びとをもつて、陽気ぐらしへの道を説かれた。そして、時には、水と漬物ばかりで過されながら、「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんというて、苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と、子達を励まされた。
 月日のやしろとなられてから、このようにして二十余年を過されたが、やがて、をびや許しによつて示された珍しいたすけが、道あけとなり、教祖を生神様として慕い寄る者が、近郷一帯にあらわれた。教祖は、これらの人々に、病の元は心からと教え、不思議なたすけを示されたことは数知れぬほどで、不治といわれた難病も、教祖の前には決して不治ではなかつた。盲人もその場で眼を開き、気の狂うた人も、すきやかに正気に復した。(天理教教典第五章「ひながた」より)
お道というものは、人を助ける心になって、自分が人を助けるのが、お道じゃないか………。心が違ってる………。前生の自分はどうだったか分からないんだから………。
ねぇ、地べたへ寝てお道をやろうと思って、俺みたいにやって………。そしたら、結構になっちゃって仕様がないんだ。東京で結構で仕様がないから、こっちへ来たんだ。
我が身が助かりたい、我が身が助かりたい、自分が結構になりたい、そんなものあるものか。いくら探したって………。
人を助けるから、自分が結構になるんじゃないか。こらよく聞いててよ………。(昭和42年6月28日の夕づとめ後の御講話より)
………で、その証拠にね、自分があのおっかさんのお腹に入って、俺は子供になって出て来てやろうと思って出て来た人などありゃしない。
そんなこと思っておっかさんのお腹の中に宿ってきた人などありゃしない。宿ってもらうなら、皆いいところに宿ってもらうはずだろ?悪いところに子供はできやしない。だが失礼だが、まったく食うや食わずの中へ子供ができるわけだ。ほら、子供はそんな望みはないんだろ?
ねぇ、その子の前生因縁でいいところにも悪いところにも出るんだ。前生の因縁で出てるんだ。
ねぇ、だから、前生の因縁をもってお道を聞いてりゃいいんじゃないか…。
ねぇ、道を聞いて道を守ってく。道を聞いて道を守ってくというのは、人を助ける心になって、真実の実をもって人を助けてりゃいいんだ。内にいても親を助け、兄弟を助け、内の中にいる者を助け、ねぇ、外に出たら、ねぇ、病人を見つけたらお助けをさしてもらう。
断じて自分を許さない。『身を捨ててこそ立つ瀬がある』というんだから、自分の身を捨てて人を助ける心になりゃあ、助かるに決まっているじゃないか。
ねぇ、これは皆が聞いとく事だよ。お道すりゃあ、皆助かると思っているけど、そんな了見違いして聞いてる奴あるもんか。教会来て話聞いてりゃ、お道だと思って………。こりゃ、お道じゃないんじゃないか………。

つづく


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