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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\身上事情尋ねる/\。身上の事情尋ねる。これよう聞いてくれねば分からん。長らえて身上、どういう事を思やんすれど、分からん。よう聞き分けねば分からんで。人間生まれ更わり理を聞き分け。そういう事はあろうかいな、と思う。世界にある。どんな者、親があって子があろ。何人ある、皆可愛いが理である。年を取る。世界同し理である。難儀するも不自由するも、皆心の理である。ほんにな、理が分かるなら、速やかなものである。何年年を経て、理が分からねば、同し日を通らねばならん。これが実かいな、あたゑをやろうと言うても、嫌じゃ/\言うても、どうでも/\心の理によって与えると言う。』(M22.08.07)
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『さあ/\尋ねる事情/\、余儀無くの事情通るなれども、どんな事こんな事という。いんねんという/\理を鮮やかという、一つという、これを遁れようという。これはどうなろうと思う。これは内に掛からんようと、一つ思う。又身上に掛かるという。よう聞き分け。この理を諭す。難しいと思えど、さしづ通りの理が見えるかと思うて、これ心に一つ治め。いんねんというは、大難小難とする/\。これが結構と思う。成るだけ一つ大層な理を持たずして、暫くの処、じいと心治め居るがよかろう。
押しての願
よう事情聞き分け。安楽の理は通るであろう/\。安楽の理を、よう聞き分け。安楽の道は、安楽やないで。この上生まれ更わりの道は無きようにせねばならん。どんな事も、難儀さすような道は運ばさせんで/\。運ぼと思ても運ばさせんで。確かに心を治めるよう。』(M23.09.21)
教祖は、「乞食婆」と人々から罵(ののし)られて、五十年の間通られたのであります。長い間、難儀に難儀されて、乞食婆として通られ、御高齢の八十九歳の身で寒い寒い時警察へ御苦労されて、下駄を枕にされた事等何十回という悲しい拘留生活を、神様が教祖に雛型として通らせられました…道の信仰は―道の為ならどんな難儀でもしよう。どんな苦しみの中も、喜び勇んで通らして貰おう。この精神が、道の信仰であります。私も散々やり切ってきました。その難儀苦労の道を喜んで通って行くのが、私の何よりの楽しみとして、勇んでやり切って抜けて来ました。「関根さん…そこまでしなくてもいいじゃないか…もういい加減にしたらどうだ…」「先生…又やるのですか?」「関根さん…子供まで乞食にするのか…」と、散々皆さんに止められましたが、この中一分も動かさずにここまで来ました。神様に勤めるなら、道の為なら、どんな苦労もさせて貰おう。この信仰は、今以て持ち続けております。尚勇んで通り切っております。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初
代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
8日以降も、いろんなことがありましたが、お蔭さまで、昨日、理の子が無事に『おさづけの理』を拝戴させていただくことができました!!(*^U^*)

別席をすべてそばで傍聴させていただいていましたので、後席のことを少し心配していましたが、「すべて神様にお任せして凭れ切って頑張って!!」と激励させていただいていたところ、無事に本席も後席も神様がお連れ通り下さいました。ほんとうにほんとうにありがとうございました!!m(__)m

晴れて、理の子第一号の『よふぼく誕生!!』です。
昨日は、二月では珍しくほんとうに暖かい日で快晴でした。何か神様も祝福して下さっているように思えて、ほんとうに有り難い一日でした。
お母さんの方は、高齢なので、もう少し暖かくなってからということで、まずは本人からと一人だけ『おさづけの理』 を拝戴させていただくことにしましたが、やはりそれが正解で、一人でも帰りは今までの疲れもあり、もういっぱいいっぱいでした。
あんまり疲れてしまって、ちょっと休憩させてなと言っていたら、理の子が早速、「先生、おさづけを取り次がせて下さい!!」と言ってくれました。これは、ほんとうに、ほんとうに、有り難くて涙が出そうでしたが、「ありがとう!!お願いします!!」と言って、おさづけを取り次いでいただきました。

ああ、ほんとうによかったなあ!!、なかなかたいへんで途中で何度かくじけそうになった時もありましたが、なんとかここまで頑張らせていただいて、ほんとうに良かったなあ!!と、心より神様おやさまに感謝させていただいています。m(__)m

ひろ
人間の心は―いけません…自分を捨てて、人を助けるという、そういう心が持てません。自分が助からなけりゃ、自分が結構にならなけりゃ、人が助けられません。人はどうでも、自分さえ助かれば…、こういう心です……私は、人を助ける為に、今日まで、自分というものを捨てて捨てて、捨て切って通って来ました。何度自分を捨てて、人の為に命まで投げ出して裸になったか知れません。ところが、何度自分を捨ててみても、すぐ良くなって了います…人間には、欲な心か多うございますが…神様は欲がお嫌いですから、人間の心に欲の心が少しでもあるうちは、神様が入って来て下さいません。従って、神様のお働きが頂けません。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
『お前は神の事をせよ、お前のことは神がする。』と、神様は仰せられています…自分の事は全く忘れて、どうかして人を助けよう、人を助けよう、この心を持って通れ―と神様が仰せられているのです。…私はその昔、人を助ける事に掛けて、自ら求めて、長年難儀、難儀の道を通って来ました。そこで、「よく神の事を、そこまで心に掛けてやっといてくれた」という神様のお礼が、今日のこの自由な守護となって表れて来ているのです。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
「人間心」というものは、どんな心か――というと、「自分の勝手な心」です。どうしても、人間は勝手というものが心にありまして、その勝手な心がどうも使いたくていけません。これは怖うございます。これが、自分を苦しめます。これは知らずにやっているんです。知らずにやってるんですけれども、これが病気を拵えたり。災難を拵えたりして持ってきてくれます……自分の心が――天の理に違っていますから、違っているだけ、災難や病気やそんな事になって現れてきまして、想像のできない苦しみをして通らなくっちゃなりません。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
『さあ/\尋ねる事情/\、小人一条いかなる事と思う。どういう事を尋ねる。一寸一時どうとはあろうまい。小人大層。よう事情、この道というは難しい道であろう。何も難しい事は無い、難しい理から理が出て難しい。そんなら小人世上見て、成る理と成らん理とある。成る理成らん理。成る理は誰でもの理である。成らん理は、取りようによって難しい。このさしづ大変の事情。一寸どうとはあろうまい。なれど案じる事は要らん。先ず暫くの処、多くの中、難しい/\処越さにゃ道とならん。だん/\の道が栄え、難しい事好む理でない。これ一つ聞き分け。これまで尽した理、日々の守護という。万事案じる事は要らん/\。』(M26.01.12)
今日は、平和堂集談所の月次祭です。

先日から、ややこしい書き方をしてしまい、誠にすみませんでした!!m(__)m

あまりにも変化が激しく、まるでジェットコースターに乗っているようで、僕自身ふらふらになりながら書かせていただいていましたので、どうかお許し下さい!!m(__)m

いったいどんな奇跡が起こったのかと申しますと、満席を終えてから、再び、完全に狂ってしまって暴言の上にも暴言を吐き捨ててしまっていた理の子が、急に態度を改めて、平謝りに謝って来てくれたのです!!

やはり、案の定、トンプクを飲んでも眠れなくなり、左膝がまたまた痛み出して来たため、ちょっと前に味わった‘断末魔のような苦しみ’(理の子の言葉です)は、二度と体験したくなかったようです。

あんまり何度も何度もメールを送って来て仕方がないので、その心をはっきり確かめさせていただいた上で、急きょ上級への順序を運ばせていただくということになったのです。
すぐに、会長さんの都合をお伺いさせていただいたところ、夕方からならOKです!ということだったので、6日の夕方に上級へ順序の参拝をさせていただくことができました。

ここ三日くらいの間に言葉には出来ないくらい大変なことがあり、また、言葉には出来ないような鮮やかな奇跡を見せていただくことができました。
本当に有り難いことを経験させていただき、本当に有り難い限りです。

これで、『よふぼく誕生』までの三つのステップの内、第一段階の『満席』をクリアさせていただき、第二段階の『順序』もクリアさせていただくことができました。残すは、最終第三段階の『おさづけの理の拝戴』のみとなりました。

それで、理の子達も心を定めて下さり、いちおう仮予定日としましては、今月の13日と決まりました。しかし、こればかりはこちらの都合で運ばせていただけるものではなく、神様と真柱様のご都合によるものなので、直前まではっきりとしたことはわかりません。
しかし、いずれにしても、神様に心からしっかりお凭れさせていただいて、理の子の成人を祈念させていただきたいと思っています。

ひろ
昨夜遅くなってしまい、投稿が遅くなりすみません!!m(__)m

何かが変わったんたなあ!?とお気づきの方もおられると思いますが、昨日の二つ目の記事は、実は今日(7日)投稿させていただく予定の記事だったのです。
五日に三日分の記事を書かせていただいていましたが、昨日(6日)の朝、突然奇跡が起きました。それで急きょ今日書かせていただく予定だった記事を昨日の二つ目の記事として投稿させていただきました。
そして、明日(8日)書かせていただく予定だった記事に少し追記させていただきまして、今日の記事とさせていただきたいと思います。m(__)m

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僕自身、我が身を捨て切り、しんどくなって動けなくなってしまった時も何度もありましたが、決して自分自身を許さずに精一杯の誠真実を尽くし、どんなわがままでも受け入れ、天の理を説かせていただきここまで来ました。

しかし、どうも、やはり頭や気の病は、そう簡単には物事が前に進まないようです。この期に及んで再び因縁が出て来てしまったようなので、もう一度やり直しになるかも知れません。
僕は、理の子を絶対に見捨てはしません。最低は三年かかると思ってやりはじめたものなので、まだ半分(18カ月)しか来ていないことになります。
ここまで来て、すべてを投げ出すような勝手気ままや暴言は、神様も受け取っては下さらないと思いますので、今日の平和堂集談所の月次祭から、もう一度、僕自身も自分自身の至らなさを深くさんげさせていただき、とにかくもっともっと我が身を捨て切り、低い低い心になり、さらに誠真実を尽くして、なんとしても、理の子に『おさづけの理』を拝戴させてやりたいと心定めをさせていただきたいと思います。

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実は、平和堂集談所の月次祭は明日(8日)なのですが、これを書いた翌日、つまり6日の早朝に奇跡が起きたのです。

つづく


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