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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 大和国神戸村の小西定吉は、人の倍も仕事をする程の働き者であったが、ふとした事から胸を病み、医者にも不治と宣告され、世をはかなみながら日を過ごしていた。又、妻イヱも、お産の重い方であったが、その頃二人目の子を妊娠中であった。
 そこへ同村の森本治良平からにをいがかかった。明治十五年三月頃のことである。それで、病身を押して、夫婦揃うておぢばへ帰らせて頂き、妻のイヱがをびや許しを頂いた時、定吉が、「この神様は、をびやだけの神様でございますか。」と、教祖にお伺いした。
 すると、教祖は、「そうやない。万病救ける神やで。」と、仰せられた。それで、定吉は、「実は、私は胸を病んでいる者でございますが、救けて頂けますか。」 と、お尋ねした。
 すると、教祖は、「心配要らんで。どんな病も皆御守護頂けるのやで。欲を離れなさいよ。」と、親心溢れるお言葉を頂いた。
このお言葉が強く胸に喰い込んで、定吉は、心の中で堅く決意した。家にもどると早速、手許にある限りの現金をまとめて、全部を妻に渡し、自分は離れの一室に閉じこもって、紙に「天理王尊」と書いて床の間に張り、

 『なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと』

と、一心に神名を唱えてお願いした。部屋の外へ出るのは、便所ヘ行く時だけで、朝夕の食事もその部屋へ運ばせて、連日お願いした。すると不思議にも、日ならずして顔色もよくなり、咳も止まり、長い間苦しんでいた病苦から、すっかりお救け頂いた。又、妻のイヱも、楽々と男児を安産させて頂いた。
早速おぢばへお礼詣りに帰らせて頂き、教祖に心からお礼申し上げると、教祖は、「心一条に成ったので、救かったのや。」と、仰せられ、大層喜んで下さった。定吉は、「このような嬉しいことはございません。
この御恩は、どうして返させて頂けましょうか。」と、伺うと、教祖は、「人を救けるのやで。」と、仰せられた。それで、「どうしたら、人さんが救かりますか。」と、お尋ねすると、教祖は、「あんたの救かったことを、人さんに真剣に話さして頂くのやで。」と、仰せられ、コバシ(註、ハッタイ粉に同じ)を二、三合下された。そして、「これは、御供やから、これを、供えたお水で人に飲ますのや。」と、仰せられた。
 そこで、これを頂いて、喜んで家へもどってみると、あちらもこちらも病人だらけである。そこへ、教祖にお教え頂いた通り、御供を持っておたすけに行くと、次から次へと皆救かって、信心する人がふえて来た。(稿本天理教教祖伝逸話篇 一〇〇より)
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明治八年四月上旬、福井県山東村菅浜の榎本栄治郎は、娘きよの気違いを救けてもらいたいと西国巡礼をして、第八番長谷観音に詣ったところ、茶店の老婆から、「庄屋敷村には生神様がござる。」と聞き、早速、三輪を経て庄屋敷に到り、お屋敷を訪れ、取次に頼んで、教祖にお目通りした。すると、教祖は、 「心配は要らん要らん。家に災難が出ているから、早ようおかえり。かえったら、村の中、戸毎に入り込んで、四十二人の人を救けるのやで。なむてんりわうのみこと、と唱えて、手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで。人を救けたら我が身が救かるのや。」
と、お言葉を下された。
 栄治郎は、心もはればれとして、庄屋敷を立ち、木津、京都、塩津を経て、菅浜に着いたのは、四月二十三日であった。
 娘は、ひどく狂うていた。しかし、両手を合わせて、

 『なむてんりわうのみこと』

と、繰り返し願うているうちに、不思議にも、娘はだんだんと静かになって来た。それで、教祖のお言葉通り、村中ににをいがけをして廻わり、病人の居る家は重ねて何度も廻わって、四十二人の平癒を拝み続けた。
 すると、不思議にも、娘はすっかり全快の御守護を頂いた。方々の家からもお礼に来た。全快した娘には、養子をもろうた。
 栄治郎と娘夫婦の三人は、救けて頂いたお礼に、おぢばへ帰らせて頂き、教祖にお目通りさせて頂いた。
 教祖は、真っ赤な赤衣をお召しになり、白髪で茶せんに結うておられ、綺麗な上品なお姿であられた、という。(稿本天理教教祖伝逸話篇 四二より)
『さあ/\前々尋ね出る一つの諭という、未だ速やかならん思うやろ。さあ/\諭しよ。聞き分けが難しかろ。どっちもこっちも世上の理という。第一は長らえての道という。身の処心得んという処は、古き道通りた道を思え。世上は往還道という。往還道は通り難くい。世上往還道という。心は、元々の細道、小さき道を通れ。この理をよく聞き分けて通れ、と言う。』(M23.05.07)
『さあ/\身上一つの事情尋ねる処/\、さあ/\身上事情尋ねる。一つさしづどういうさしづ、めん/\思やんいろ/\思やん。速やかならん。日々一つの事情案じる。どれだけ案じても、身が速やかならん。さあ/\しいかり聞き取れくれるよう。身上事情あって尋ね一つの事情の話する。前々一つ/\前々一つ/\理を運ぶ。いかなる一つ順々の道を通り、一時治まる一つ理。身に障りどういう事である。一つ成程の事情分かる。一つ成程身上の事情案じず、何か聞いて大層々々、一つの事情から、身上どういう事であろ。よく聞き取って、長くの事情一つの理諭し置く。いつ/\踏ん張らねばならん。一つの心日々という。今一時どんと計り難ない。いついつまで楽しみ、楽しみは元にある。長く楽しみ、いつ/\まで聞いて事情諭してやろ。いつ/\前々こうのうと言う。今一時どんとな、思う。身上案じずして、楽しみという心を治めるなら、身は直ぐと治まる。』(M22.12.08)
『さあ/\尋ねる事情/\、皆一つには尋ねる一つの理を聞き、前々事情無くば聞く事出来まい。追々尽す事情によって話する。長らえ身の不足だん/\心尽す身が不足なる。どうなれこうなり理を聞き分け、一つの心治めにゃなるまい。身の処大層。一時どうとも言わん。心に安心事情通り世上を見てそれより治め。又結構の理もあろ。こうして尽す/\運ぶ理を含んで、どういうものであるとは必ず思わずして、心を治めくれ。十分案じの理も治めてくれねばならん。この理をよう聞き取って諭してくれるよう。』(M24.07.06)
『さあ/\それ/\諭さにゃならん。運ぶ道に成程の道付けてやらにゃならん。何年何程も僅かの日日が切ってある。一年そこ/\までや。前々事情に諭してある。何にもどうである。明らかな道運ぶなら、明らか。明らかな先々先々諭す理は、直ぐと利益見える。人々の義理を病んでは明らかな道と言わん。又だん/\道通れば、いかなる者も、取り違えの者もある。いかなるも、さあ/\人間心混るというはどうもならん。早く治めてくれるよ。何時なりと、前々諭してある。取り直してくれるよう。』(M24.07.05)
もう人間の魂が濁り切ってしまって、自分の思いが、思うように立たなくなってしまいました。…まだまだ世の中は迫るばかりです。因縁で、因縁で迫り切った中から、立派に立ち上がっていただきたい、これが私の信仰です。因縁通りに落としたくありませんから、しっかり私を信じ切ってお縋り下さい。もうこの道なくして、行くに行かれん、通るに通れん日が来るよ――と聞かせていただきます。神様は、その日来て後悔するな………と仰せられていますから、、しっかり神様の思召しに心をおいて、道の上に、助け一条、ひのきしんに勤めさせていただくことが大切です。この道は、神様が人間を道具に使って、一家を助けて行こうとして付けて下さった道です。…私は、どんな事でも耳に入ったら、何百里離れていても、自由に助けて行きます。……………もう医学で、治らん病気の人がらいくらも助かっております。段々、段々と、訳の分からん病気ばかりで、医学では手のつけられない事ばかりです。そこに、道の者しか助け上げられませんように成って来ますから、道の者―重大な
る仕事がございます。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
神様は、常に貴方がたの心を見抜いていますから、心に神様を持って常に通る事が大事です。『助かるも神、助からないも神、そこは銘々の心次第や』これは神様のお言葉です。…私は、時間も体もお金も有ります。が、道っきり何にもやりません。只一生懸命にお道をやっています。その証拠に、私が助かると言えば助かります。治ると言えば治ります。摩りゃ治ります。私が勝手してたら、人が助かりますか…。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
日常通る中に、私は「我」を捨てきって、人さんの幸せの為に、勤め切っております。どんな中も、道の信念がありましたら、因縁に勝ち切って行かれます。精神から神様が抜けておりますと、因縁に負けてしまいます。…年限経って、通った道を省みますと、通っただけは、善悪正しく返って来ますから怖いです。…正しい心が、何時かは「我」が出て、強い心が出てしまいます。一生懸命にやっていながら、そのやっている事が間違って来ます。…道は、一生懸命やっています中に、軽くなっています事が多いのです。道は深くなればなる程、「我」が出て来ます。私は年限が経っていますから、寸分なりとも自分を許しません。自分を精神的に叩きしめ踏みしめて、苦労して難儀して、やり抜いて来ました。一つ一つ、毎日毎日、神様に報告しては通りました。関根は、一生懸命にやって来ました。…少しも心から道を離さずに、しっかりと神様にもたれて通り抜きました人間は、助かって助かって仕様がない程恵まれて来ました。…自分の心に、道の心をしっかり拵えて通りますと、苦労
や難儀はありません。…道をやり切りますと、自分の思う事が立ちます。道を軽くしますと、自分の行く道が無くなってしまいまして、終いは、事情に行き詰まり、身上で倒れ、苦しみ悩み死んで行って、その後は絶えてしまいます。…自分の思いを立てるには、「我」を捨て切って、全く神の理を重んじて、心に少しの緩みもなく一生懸命神様の理を立てて通り切りますと、自分の思いは自由に立ちます。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
『さあ/\尋ねる事情/\、小人の事情一寸の処は難しいようなものであろうなれど、内々に何か一寸理が見て楽しみという。一寸にはいんねんという。結構ないんねん、不思議ないんねんであろう。事情よく聞き分け。不思議ないんねんであって、十分という理聞き分けるなら分かる。所々にていんねんという理を聞き分けねばならん。万事聞き分けて事情心に治めるなら、分かる。事情心に分かり難ない。いんねんというは、成るに成らんいんねんもあろう。何か聞いて、いんねん聞き分けるなら、一寸には理があるによって、早く事情運んでくれるがよい。』(M24.01.19)


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