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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\事情尋ね返やす。一つ身の処にて、たんのうならんという事情諭してある。堪いられん一つの理という事情諭したる。この理が分からねばどうむならん。事情分からねば、見て通るだけ、聞いて通るだけ。あゝ綺麗なあと言う、むさくろしいなあと言うて、通るだけ。綺麗なあと言う、むさくろしいなあと言うは、どういうものであろう。分からんから、むさくろしい。この理が分かれば、この理だけ諭すによって。』(M24.05.14)
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『さあ/\尋ねる事情、身上に不足なるは、どういうものと思う処は、よう聞き分けにゃならん。一名々々に皆違うでな。この理を諭し置こう。めん/\にも人に諭して居るやろう。聞いて居るやろう。めん/\も身上に不足なる処は、悟らにゃならん。内々の処よう思やんせよ。蒔いたる種は一度は皆生えるものである。前生いんねんこの理を聞き分けにゃならん。前生の理を見て、身上あって楽しみ。身上無うては楽しみ無いである。十分の処は、これからと思う処は、楽しみと思うてするなら、この理を追々聞き分けて通らにゃならん。一列は世上見てたんのう/\の心という。この理を諭し置こう。』(M23)
『さあ/\/\尋ねる処/\、早く速やか/\。前々一つの話早く速やか。一度二度三度早く速やか。内々一時一つ速やか、内一つ内々一つの芯々という。内々一つ芯を分かれば、皆分かる。何かの処も皆分かる。二度三度一つの理、先ず/\大層大層思てはどんならん。たすけ一条の又理をいる。内々速やかという理に改めて、又尋ねよと。』(M22)
『さあ/\身の内/\の事情尋ねる。尋ねるからは一つ諭しよ。よう聞き分け。難し事は言わんで。何をいかん/\こゝどうせこうせ、これは言わんで。だん/\人間程事情のあるものは無い。何を思うも、身上無うては、どうも仕様無いで。この理聞き分けてくれ。何思うも思うまい。思うも天のあたゑ、暮らすも天のあたゑ。日日暮らすに、身上事情案じる。案じる事は一つ、何かの事情案じばかりではどうも仕様無い。案じる事は更にも無いで。さあ何にも案じる事は打ち払い、楽しみばかり/\心なら、皆受け取る。案じる心を打ち払い、心に理を治めるなら、身は直ぐと治まる。』(M23.01.21)
『さあ/\事情以ちて事情尋ねる。日々の処、どういうもの分かるまい。分かるまいから尋ねるのやろ。一つ聞き取りて何も彼も分かるやろ。これまでの処、中の中日の中月の中、思う処多くなる。信者思い/\なりた。道は、往還道は通り難くい。細道は通りようい。細道はめん/\一つの心を以ちて世界、往還道は心一つは通り難くい。細道はめん/\心一つの理で通りようい。よく聞き分けて、一つの心で多くの中という。元々思い、一つの心で多くの中という。仕切りて身を試してみよ。一つ分かれば何かの処と言う。』(M23.03.31)
『さあ/\十分事情だん/\諭し、事情一つの理が今一時、よう事情今一時諭そう。案じる/\理である。いかなる理を聞く諭する。一時理があろまい。身上速やかならんという理聞き分け。内々の事情に一つ、運ぶ中尽す中いかなる理であろ、思う理である。どういう理に聞き分け。小人一つの理、どういうものである思うて暮らす処、大層の事情思えども、成るも一つ成らんも一つ、救けにゃならん救からんにゃならん事情、聞き分け。事情分かろまい。一日の日世上のいんねん為す理、我が一つの理親の理、事情聞き分けてくれねば分かろまい。いんねん一つの理も分かる。諭する理、いんねん救けにゃならん救からにゃならん、いんねん聞き分けてくれるよう。いかなる理も聞き分けてくれるよう。』(M23.07.03)
『さあ/\尋ねる処/\、心鎮めてしっかり聞き分けてくれ。生涯のさしづ一度にして置こう。神一条の道、身の内かしもの道具、心通りに身はどうでも出ける。身の処道具誠と心定めば、誠は弱いものである。なれども、長い堅いものや。誠は天の理や。それ神が直ぐ受け取る。誠と真を定めて通れば、世界から見る。成程の人や、成程の内やと言う。世上に理を出ける。自由自在や。それ身の処も自由自在や。道具誠一つの道も第一や。又々内々も勇む日もある。又一つ尋ね/\、又々早く理も治まろうと。』(M23.07.08)
 文久三年三月四日、忠作が初めて参詣して、妹くらの気の間違いに就いて伺うて貰うと、教祖は、
「此所八方の神が治まる処、天理王命と言う。ひだるい所へ飯食べたようにはいかんなれど、日々薄やいで来る程に。」
と、仰せられた。忠作は、教えられるまゝに、家に帰って朝夕拍子木をたゝいて、

『なむ天理王命、なむ天理王命。』

と、繰り返し/\唱えて、勤めて居たが、一向に利やくが見えない。そこで、又お屋敷へ帰って、未だ治りませぬが、どうした訳で御座いましようか。と、伺うて貰うと、教祖は、

「つとめ短い。」

と、仰せられた。これを聞いた時、忠作はハッと心に思い当った。それは、当時のつとめは、たゞ拍子木をたゝいて繰り返し/\神名を唱えるだけで、未だ手振りもなく、回数の定めもなく、線香を焚いて時間を計って居たのであるが、忠作は、一本立てるべき線香を半分に折って居た。
これに気付いたので、早速お詫び申上げ、、家に戻り、線香を折らずに、毎朝毎晩熱心に勤めた。するとくらの患いは、薄紙を剥ぐように次第に軽くなって、間もなく全快した。(稿本天理教教祖伝「道すがら」より)
 教祖が、監獄署からお帰りになった時、お伴をして帰って来た仲田儀三郎に、監獄署でお召しになっていた、赤い襦袢を脱いでお与えになって、
「さあ、これを持っておたすけに行きなされ。どんな病人も救かるで。」
と、お言葉を下された。
 儀三郎は、大層喜び、この赤衣を風呂敷に包んで、身体にしっかりと巻き付け、おたすけに東奔西走させて頂いた。そして、

 『なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと』

と、唱えながら、その赤衣で病人の患うているところを擦すると、どんな重病人も、忽ちにして御守護を頂いた。(稿本天理教教祖伝逸話篇 一三六より)
 明治七年十二月四日(陰暦十月二十六日)朝、増井りんは、起き上がろうとすると、不思議や両眼が腫れ上がって、非常な痛みを感じた。日に日に悪化し、医者に診てもらうと、ソコヒとのことである。そこで、驚いて、医薬の手を尽したが、とうとう失明してしまった。夫になくなられてから二年後のことである。
 こうして、一家の者が非歎の涙にくれている時、年末年始の頃、(陰暦十一月下旬)当時十二才の長男幾太郎が、竜田へ行って、道連れになった人から、「大和庄屋敷の天竜さんは、何んでもよく救けて下さる。三日三夜の祈祷で救かる。」という話を聞いてもどった。それで早速、親子が、大和の方を向いて、三日三夜お願いしたが、一向に効能はあらわれない。そこで、男衆の為八を庄屋敷へ代参させることになった。
朝暗いうちに大県を出発して、昼前にお屋敷へ着いた為八は、赤衣を召された教祖を拝み、取次の方々から教の理を承わり、その上、角目角目を書いてもらって、もどって来た。
 これを幾太郎が読み、りんが聞き、「こうして、教の理を聞かせて頂いた上からは、自分の身上はどうなっても結構でございます。我が家のいんねん果たしのためには、暑さ寒さをいとわず、二本の杖にすがってでも、たすけ一条のため通らせて頂きます。今後、親子三人は、たとい火の中水の中でも、道ならば喜んで通らせて頂きます。」と、家族一同、堅い心定めをした。
 りんは言うに及ばず、幾太郎と八才のとみゑも水行して、一家揃うて三日三夜のお願いに取りかかった。おぢばの方を向いて、

 『なむてんりわうのみこと』

と、繰り返し繰り返して、お願いしたのである。
 やがて、まる三日目の夜明けが来た。火鉢の前で、お願い中端座しつづけていたりんの横にいたとみゑが、戸の隙間から差して来る光を見て、思わず、「あ、お母さん、夜が明けました。」 と、言った。
 その声に、りんが、表玄関の方を見ると、戸の隙間から、一条の光がもれている。夢かと思いながら、つと立って玄関まで走り、雨戸をくると、外は、昔と変わらぬ朝の光を受けて輝いていた。不思議な全快の御守護を頂いたのである。(稿本天理教教祖伝逸話篇 三六より)


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