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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\身上の事情尋ねる/\。諭そ/\。身上の不足なるは、余儀無くの事情、余儀無く事情早く知らせ。さあ/\案じ一つ/\案じ一つの心を除けて、早く一つ。身上に不足あれば、案じる。案じる心日々という。日々の案じは一寸は踏ん張る。日々の案じ心何の理も速やかして願うよう。一寸は踏ん張らにゃなろうまい、踏ん張らさにゃなろうまい。』(M23.03.15)
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『さあ/\一時身上の不足、どういうものであると思う。これまで通り来たる処一寸理を許してある処、めん/\もたんのうして居るやろ。楽しみと言うえども、身上に不足ありて楽しみと言うえようまい。これからしいかりと道を踏ん張るよう。運ぶ処はだん/\一つの理を以ちて運ぶよう。これからの理は、しいかり話伝えてくれるよう。』(M23.06.11)
『さあ/\一時尋ねる処/\、思う処暫く見定めて治まるがよいで。今こうしたらなあと思う。これでなくばと思う心、ころりと間違うで。人間一人々々のあたゑというものがあるで。成るよ行くよう。成ろうと思うても成らせん。この理をよく聞き分け。どれだけのものや、これ程信心するのに、というような心の者皆多い。これではいかん。誠無い。受け取るものは無い。不足思えば不足になる。たんのうの事やが、受け取る事出来んで。不足思えば皆不足になるで。たんのうより受け取る事出けん。誠あればこそ、たんのうの心定まる。そこで、たんのうより受け取るものは無い。たんのうは誠。誠は天の理や。天の理なら誠より偉いものは無いで。この理をよく悟ってくれ。』(M23.05.13)
『さあ/\皆んなこれどうするもこうするも心一つ。どうするも心に掛かる処は、心に掛からんように。それは心通りして、心にどうであろうと思えば、どもならん。これも一つ。内から何かの処聞き取りてくれねばならん。』(M24.03.21)
これは、理の子が書いてくれたものです!!


断末魔の両足の痛み⇒信仰と、おさづけに よって嘘のように、オペもせずに、親神様、おやさまに、助けていただきました。

4月1日⇒水曜日の午後からの出来事です!

私ども、両足のびっこを、ひいてしか、歩けなかった足が、4~5年の歳月が、たった今、特に昨年の2月1日からの 1年2ヶ月のあいだは、左足が、すさまじく痛く、2日か、3日に一回の割合で、1月に約半分くらいに、水を整形外科へ太い注射器に満タンになるくらいに水を抜きに通っておりました。全国で10本の指にはいる病院へも、行きました。だが、医師の答えは、【まず、水を抜いて、ヒアルロン酸と痛み止めの注射をして、内側半月版損傷にふたんが、かからない様に、膝に金属の、そうぐをつけなさい】という、いとも、現代医学の粋を、集めた様な、悲観的な診断結果でした。
合計⇒3ヶ所で、MRIを撮ってもらっても、みな同じ医師の意見だったのです。ところが、我が理の親は人間を造ってくださったのは、神様であって、創造主に身を委ねて、もたれかかると絶対に治る、治して、くださると おっしゃったとおり、天理教 平和堂集談所へ、アトモスフェアー(雰囲気)が澄んだ、心地良い場所へ毎日、日参した、いや、させていただいたのが、病気完治への真の、誠の、お道でした!!

理の子(代筆 ひろ)
昨日は、エイプリルフールの日でしたが、実際に起きた嘘のような真実の奇跡の話です!!

なにが起きたかと言いますと、ずっとこのブログに出てくる僕の理の子が、昨日、軽やかに走れるようになりました!!

なかなか、いろいろなことがあり、おさづけの理を拝戴させていただいてからも、まるでジェットコースターのような激しい変化が続いていましたが、昨日、四月一日に鮮やかに走れるようにならせていただきました!!

四、五年も、膝が痛くて、まともに歩くことさえ出来ず、いくつもの有名な病院で何回もMRIを撮ってもらって、これはもう手術しかないと言われていたはずの膝の痛みがすっかりなくなり、軽やかに走れるようにさせていただいたのです!!

だいたい距離的には、500、600メートルの公園のトラックを一周ずつ二回走りました。本人は、いままであまり運動をしていないので、半分くらいで息切れするかもしれないので、休んでもいいですか?と言っていましたが、さほど息も切れずに、あっさりと楽~に一周を二回走り切りました。

本人もびっくりしていましたが、ほんとに一昨年に僕のところへ来た時には考えられないくらい、鮮やかに軽やかに走りました!!

親神様おやさま、ほんとうにほんとうに、ありがとうございました!!m(__)m

ひろ
『さあ/\身上に心得んという事情を尋ねる。よく聞き取れ。どういう事が間違うて身の処不足なると思う処、皆同んなじ神の子供、その内に段々ある。心得んと言えば、だん/\心に事情を沸かす。ほんの些かの事情を心に沸かさんよう。事情は世界という。めん/\心にたんのう一つの理を治めば、身は速やかという。身上案ぜる事は要らん。前生いんねん真実をたんのうという。』(M23.09.04)
『さあ/\身の内/\の事情尋ねる。尋ねるからは一つ諭しよ。よう聞き分け。難し事は言わんで。何をいかん/\こゝどうせこうせ、これは言わんで。だん/\人間程事情のあるものは無い。何を思うも、身上無うては、どうも仕様無いで。この理聞き分けてくれ。何思うも思うまい。思うも天のあたゑ、暮らすも天のあたゑ。日日暮らすに、身上事情案じる。案じる事は一つ、何かの事情案じばかりではどうも仕様無い。案じる事は更にも無いで。さあ何にも案じる事は打ち払い、楽しみばかり/\心なら、皆受け取る。案じる心を打ち払い、心に理を治めるなら、身は直ぐと治まる。(M23.01.21)
『さあ/\運ぶ/\、十分運ぶ中/\身上どういう事であろ。これだけ運ぶ中、これと一つなりと/\一年なりと、身上不足ありて運ばらせん。案じばかり/\話の理を聞いて聞き分けずして、身上ばかり案じてはとんとどんならん。運ぶ中に、身上これだけどういうものと思う心出さんよう。案じは無いで。運ぶ中に、これだけどういうものという心ありてはどんならんで。これだけ諭して置こ。(M23.08.29)
『さあ/\運ぶ/\、十分運ぶ中/\身上どういう事であろ。これだけ運ぶ中、これと一つなりと/\一年なりと、身上不足ありて運ばらせん。案じばかり/\話の理を聞いて聞き分けずして、身上ばかり案じてはとんとどんならん。運ぶ中に、身上これだけどういうものと思う心出さんよう。案じは無いで。運ぶ中に、これだけどういうものという心ありてはどんならんで。これだけ諭して置こ。』(M23.08.29)


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