忍者ブログ
僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
[220] [221] [222] [223] [224] [225] [226] [227] [228] [229] [230]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『さあ/\いかなる身の障り一つ真を改め置け。いかなる処聞き分け。真を定めくれるよう。五十年以来だん/\随き来る。一段一大事これからである。一つ奮発、これをしっかり聞き伝えてくれ。一時分かる分からん。これから胸一つ誠一つ大丈夫の心一つ、道の道なら道のためいかなる段、替わる/\道筋に、誰がどう言う、どういう事を尋ねる。いかなる話五十年以来ちゃんと分かってある。これ一番の処、一つ定め。いかなる事情、何尋ねる。道は五十年道すがら、余の儀外の儀は要らん。身の上一条かしもの第一、話す処々自由自在これからやで。五十年以来めんめん我年跡、身の上一つに取って諭す。何も余の儀外の儀ではない。何時見えるとも、めん/\それ/\話ちゃんと集めて、一つ話、十分話余の儀でない。一つ話遂げ、何聞き何尋ねても、五十年以来めん/\何箇年である。それより先々諭する。一つ心に凭れ。』(M20.07.04)
PR
『さあ/\遠く所事を以て尋ね出る。さあ/\事を以て尋ね出る処、これ諭する。悟りようがある。諭しの処、身の内処/\にて、分からん処が出来る。さあいかなる。遠くだん/\聞くとも遠く聞く。分かり難ない。尽せども/\分からん。随分分からんではない。諭する処時談言葉でも、身の内話かりものあって一条と心が分からいでは、同じ事やで。身の内痛む、悩む処、身の内不足日々思う事一つ、これだけ、これだけすれば、こうなる。身の内改むる事出来難ない。聞きよう諭しようで、分からんでない。早く心がある。痛み所が心に分からん。よう話するのでない。何も難し話やないで。心があって悩む。かりもの事情よう聞け。どうしてくれこうしてくれとは言わん。得心身の内二つある。一つ二つ分かり難ないから頂く事出来ぬ。心で/\話聞き、成程の一事改正の心を供えて、身の内自由自在のものである。』(M20.05.17)
『さあもう十分日が詰み切ってある。もうはじけんばかり。もうせえつうが来たるから、この間から角目々々の話聞いて居る者もあり、すうきり知らん者もある。よって知らん者には聞かしてくれるよう。見れば否や、思えば否や、言えばそのまゝ見える道に成りてある。さあ/\家内それ/\の処、さあこれはどういう事や知らん、どういう道になろう。さあいよ/\綾や錦仕事に成りてある道、さあどんと心落し付けてくれにゃならん。さあふでさきの角目々々、又これまでに聞かしてある話の角目、よう思やんしてくれにゃならん。』(M20.03.24)
『さあ/\/\尋ねる一条々々、第一身上一つの理、さあ/\何が間違うであろう。めん/\日々勤める処、めん/\掃くに掃かれん一つの事情々々、めん/\前々掃くに掃かれん事情々々、さあ/\心一つの安心という事情を、早く/\諭してくれ/\。前生々々いんねん一つの事情、掃くに掃かれん一つの事情、世界の処見分けて、さあ/\一つのたんのう、早くたんのう。』(M23.02.15)
『さあ/\事情以ちて事情尋ねる。身の処さあ/\めん/\身上事情人にもあればどうなろう案じ一つの理を回る。取り直せ/\。治め一つの理が大事。人間というは残らず神の子供。救からんやならん処の理より、救からん処の理を聞き分け。心一つの理である/\。案じる事は要らん。案じは案じの理を回る。どうであろう、案じやせんと言うても、心一つというは、時々日々どんな事も思う。変わるは一つの案じ、変わらんは一つの誠。』(M22.09.21)
『身を捨ててこそ立つ瀬がある(=浮かぶ瀬もあれ―注:ひろ)』と社会では言うが、道では――道の為に身を捨てると、理がいくらでも立つ。人がなんぼでも助かる。自分を捨てて困るのは、人間一条の道だ。道に自分を捨て、親様の仰せのままに従っていて困る事は、一日一分間もない筈だ。吾が常に神様と一緒なら、一切の事は、自由に通る事が出来る。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
通るに通れん、行くに行かれん日が来るよ……もう今の社会を見てご覧なさい。災難、災難で、大きな事情に行き詰まったり、集団で病気を出したり、こんな事は、世の中にある筈ありません。もう苦労なくして、行かれない世の中になっております……道が如何に重大であるか――という事が、はっきりします……この道なくして、絶対に通れません――という事を、はっきりと悟りました……私は、あらゆる宗教を研究してみました。あらゆる方面より調べましても、天理教ほど、正しい道はない、人間の五体を持っている限り、この道なくして通れない――という事を、知る事が出来ました。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
よく言っておくが、千人の上に立つ者は、千人の下積みになって通るのだよ……教祖は、乞食婆と言われて、散々の中をお通り下さった。笑われて、罵(ののし)られて、馬鹿になって生涯をお通りになった。どんな中も、偉いつもりや、高い気分を使ってはいけないよ……立てば立つ程、低い心でやり切って行く……相手に心ゆくまで、真実を尽くさせて頂くんだよ。いいかえ。分かったかえ。高い気分を使って、偉そうな事を言うのが、先生ではないぞよ。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
『さあ/\事情はいんねん尋ねる処、いんねん事情、いんねんの事情は、とんと分からせん。心で諭して身上の事情、一寸は大層。早く聞き分け。早く事情先ず/\暫く踏ん張らねばならん。いんねんの事情、どれだけいんねんと言うても、たゞいんねんでは分からん。いんねんの理を諭して、身に不足なるは、よく聞き分け。一つの理を聞き分け。いんねんの理を鮮やかと、この理を諭してやってくれ。』(M23.01.29)
今日は、平和堂集談所の4月の月次祭です。そして、お釈迦様の誕生日でもあります。
それにつけて、もう一つ、今日は、ひじょうにめでたい日がらとなりました。

なかなか、なかなか、いろいろありましたが、昨日、理の子のお母さんが“おさづけの理”を拝戴させていただくことができました。
高齢で足が悪いので、なかなかたいへんでしたが、車椅子をおかりし、そして、教会の親奥さんのお力もおかりして、めでたく無事に戴かせていただくことができました。

ご本部の先生方も、いろいろお世話下さり、なんの支障もなくお連れ通りいただくことができました。
日にちも、突然一昨日決まりまして、バダバタでしたが、これもすべて神様が段取りを組んで下さり、結構にご守護してお連れ通り下さったように思います。

親神様おやさま、誠に、誠に、ありがとうございました!!m(__)m

ひろ


忍者ブログ [PR]
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア