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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情はどういう事でなるのであろう。どれだけ話聞かそ。理を分かりて後一つの心聞き分け。内々事情、親々一ついかなる理、一つには道を伝え道を運び、事情いんねんの理が分からん。いんねんも遁れるもいんねん、遁れんもいんねん。遁れるや一ついんねんの事情話すれど、いんねんというは成らんはいんねんという。その事情を聞き分けたなら、又一ついんねんの事情を諭すれど、めん/\の事情分からん、分かる事情がある。さあ/\どれだけどうと思うても、思う通りに成らんが事情という。いんねんの事情分からねばいんねんの事情寄せる。前生のいんねんならと言うて捨てる事情ある。聞くも見るもいんねんの事情がある。又候のいんねんがある。これより諭すれどめん/\いんねんが分からん。これだけ運ぶ。これだけ尽す中に、いんねん遁れそうなものや。速やか言えばどうであろう。尋ねば尋ねる事情聞き分けにゃならん。日々不足事情持たず、十分という心定めてみよ。第一はこんな事では世上に済まん、神の道にも済まん。いんねんの事
情分からんにゃ、繰り返やさにゃならん。いんねんというはどういうものであろう。成らん事情治まらんにゃならん。よう聞き取って、日々に勿体ないという理を持たす神の事情十分の理を運んで居る。家業という事情定めて楽しみ一つの事情、何かの事情定めてくれるよう。』(M23.12.18 刻限御話)
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『さあ/\それ/\皆んな身の内の事情以て尋ねる。どういうものと思う。前々に事情一つの事、前々事情、あちらこちら立てやいどういう事であろう。事情話そ。又一つ/\事情聞き分けて、どういう事話するぞ。難しい事は一つも言わん。内々に一つの事情という。どうでもいかなる事情諭せど、内々事情退かん、忘れられん。小人たる処どうであろう、事情立てやうはどうであろ。事情は一時成るとは思わず、小人処案じる事は要らん。立てやう事、日々月々年々不自由ならん事情一つ、不自由から見ればどうであろ。しいかり諭してくれ。いんねん聞かせど分からん。善き事あれば思わせん。見るもいんねん、聞くもいんねん。添うもいんねん。尋ねど分からん。幾重の事情に諭したる。月が経てば理が戻るという、事情はいんねんという。遠くと言えば遠く、遠くやない、どんな理があるや分からん。小人案じる理を持たず、事情しいかり聞き取りてくれるよう。』(M23.09.27)
『見るもいんねん、聞くもいんねん、世話取りするのは尚のこと。』

というお言葉が、ありますが、“よふぼく”として神様のご用をさせていただくには、しっかりとお世話させていただく人様をみて、自分自身の“因縁の自覚”をさせていただくことが最も大事なことだと、改めて認識させていただいています。

ひろ
『さあ/\/\/\いかなる処/\事情一つ、さあ/\事情道すがらを通して道に一つの事分からん。だん/\通り来たる処順々の道を知らそ。さあどういう道どんな道通りて定めた処、どういう処も尽す/\。よう聞き分け。どうなろうか/\と思う。その中に、誠一つ運ぶ。一つ兄弟々々の処なら、どういう道すがらもある。これも兄弟ならと尽す。これもどういうものなら、又、どういう事も内々の処へ中なる処も尽し、理を分からんでない。内々の処それ/\の処映し、善の処は随分弱いもの。善というものは弱いよで強いもの。弱いよなもの、年々続く天の理である。これさい分かれば速やか直ぐ、明らかのもの。我がものと思いながら、我がまゝならんのが天のもの。我がまゝならんのが、天のあたゑや。直ぐと分かる理がある。真実聞き分けば、分からんでない。さあ/\どんな道もこんな道も、ほうとした道も、通りた実を定めば、実々の楽しみ。実を定めた証拠、先々の楽しみ、これを真と思うなら、実々を分かる。』(M20.11.21)
『さあ/\身の内の処、この理はどういう処、大抵成る成らんの道も通り、一つは銘銘の多くの中、その中まあどんと気掛かり、あちらからもこちらからもどう、兄弟の中からもどう、さあすうきり何も彼も苦がすうきり遁れたるで。さあ道は一条であるで。さあ尋ねに来る。一寸一つの道の処、一寸伝える処、心に合わん気に合わん。これだけの道があれば、これだけのこうのう。さあいかなる処も道にじゅんじてのこうのう。こゝをよう思やんして伝えるよう。さあ兄弟の処も気ならんと思う。一人の処、先に話した通り、だん/\と心片付くについて、さあこれも心が休まるよって、何かの処、よう思やんしてくれるよう。』(M20.11.20)
『さあ/\いかなる処も、理を聞き分け。大抵々々年限も分かりてある。最初一つの道を分かり難くいものである。年限それ/\だけ分かり来る。世間の処どうやこうやとだん/\に悪風も聞いて越して来てある。けれどもだん/\の道聞いたる処分かり来てあると思て、楽しみは内々皆々々の処もこれへ結構となるのさしづして置こう。』(M20.11.19)
『さあ/\いかなる処、精神上、今までの処何でも/\という精神受け取りたるで。何でも/\と思えば根が差す。根が差せば、根から芽が出る。成るだけ/\ひそやか/\として、心を何も彼も扶け合いの心定め/\。よう/\道がある/\。心一つ治まりがある。誠が心の錦である。内々の処へも伝え、いつ/\までも忘れぬよう。』(M20.11.18)
『さあ/\身の処何ぼうでも判然ならん/\という処、一寸の印あればたんのうという印拵え。踏み留めるはたんのうが踏み留めやで。たんのうが前々の処のさらえやで。たんのうが前々のさんげである。』(M20.11.17)
『さあ/\何かの処も一ちと言うで分からん。一人々々の心に留まる。天然自然道や。往還道でも心に掛けずしては、踏み被ぶる。細道でも、心に掛けば、よう通れるものや。暫く心澄まして、一寸根の方へ力を尽せ。成るだけの踏ん張りをせねばならん。だん/\奮発する故よりの事。』(M20.11.16)
『さあ/\よう聞き分けねば、分からんで。結構々々で道を通る。たゞ結構では分からせんで。心々、神一条の道は誠一条の道を分かりてくれねばならんで。心一つ定めてくれねば分からんで。世上にどんな事があろが、心一つの心で通れば、よう通れるで。誠さい定めて居よなら、独り救かるで。』(M20.11.16)


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