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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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私たちは、自分で自分に与えるべきいくつもの問題(人生の課題)が、人生の最適な時期に生じてくるように、いわば「自動発生装置」をしかけておきます。その問題が生じた時に、「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」を選ぶか、逆に「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」を選ぶかという、大きく二通りの選択肢を用意しておくのです。それら多数の問題のそれぞれの選択肢を分かれ目として、私たちの人生は、まるでフローチャート(枝分かれ図)のようなしくみになっているわけです。
そして、その問題に直面した自分が、ここで「良心的な、愛のある、前向きの解決方法」で対処することを選ぶことができた時、私たちはその問題をみごとに解いたことになり、成長の階段をひとつ上がることができます。もしも、そこで「良心的でない、愛のない、後ろ向きの解決方法」を選んでしまった場合には、依然としてその問題は残ったままで、さらに厳しい試練に直面するようなしくみを用意しておくのです。(『生きがいの創造』 飯田史彦著 PHP研究所刊より)
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先日から、以前(昨年)におぢばの本屋さんで、またまた神様が見つけさせて下さっていた『生きがいの創造』(飯田史彦著 PHP研究所刊)という不思議な本を読み直しています。(^0_0^)

この本は、まるでお道の御教えを科学的に証明して下さっているような不思議が体験できる本のように思います。微妙におやさまのお言葉とは少し違うようなところもあるように思いますが、これは、前生前々生の因縁ということを主軸に考えたならば、同じことを言っておられ、実際に科学的な方法で“生まれかわり”をわかりやすく説明し、尚且つ、具体的な例を交えてひじょうにわかりやすく証明して下さっている素晴らしいご本だと、僕は思います。(^0_0^)

それで、明日から重要で興味深いところを少しずつ書かせていただくことにさせていただこうと思いますので、楽しみにしていて下さいね~!!ヽ( *・∀・)ノ

ひろ
人間は、神様が創造なされた時は、澄み切った綺麗な心でありましたが、だんだん生まれかわり成長するにつれて、欲の心が生じて来て自己中心的な心づかいが多くなり、魂にいっぱいほこりを積んでしまうようになった。それゆえに、生まれかわる時は、今度こそと思い、みな目標を立てて誓いを立てて生まれかわってくるのだそうですが、なかなか人間というものは、自分勝手で自己中心的な心を変えることができないために、何度も何度も何度も、生まれかわって“愛(真実)と誠”の心を養うために地球上において修行をさせていただいているのだそうです。(^0_0^)

ひろ
『さあ/\身の内の処、前々尋ね出る処、諭し置いたる。も一つ一時尋ねる。一寸心得ん、どういう事情、急くじゃない。長い心を持って、世上いつ/\事情もあろまい。長いのが楽しみ。長い心悠くりの心持ってば、身も治まる。』(M24.08.14)
『さあ/\尋ねる事情/\、さあ小人の処一時どういうものと思う事、一寸には事情大層の事情一時ならん。なれども、大層。内々順序の理十分治めにゃならん。尽す運ぶ理は日々十分受け取る。内々の心に理がある。よく事情諭し、他に一つ幾重の事情諭し、第一どうなるこうなる身に治まり方が無い。無い事情である。代々内々にも不自由はあろまい。話聞かす。何にも不自由はあろまい。大難小難よく聞かにゃ分からん。どうであるという心発散速やか。この一つの理日々に思えども、ほんにな/\。一軒とも言えば、一村とも言えば、一箇国とも言う。この事情諭せにゃならん。一時事情大層、この十分の話しくれ。自由にならんがかりもの。早く事情諭してくれるよう。』(M24.08.13)
『さあ/\尋ねる処/\、尋ねる事情/\、尋ねる事情には、余儀無く事情で尋ねる。尋ねるからは、さしづしよ。さしづの理というは、心までのさしづ。心までのさしづはどういう事であろう。どうでもならん、どうでもいかん。いかんはいんねんで、分からんと言うては、救けようが無い。救けようが無いというは、万事さしづ理聞き、万事心得のため、さしづして置こう。身に不足癒らんような事あろまい。癒らんと言えまい。事情は救かるが理。寿命という二つの理が分からん。これさい分かれば、身の不足ぐらい癒らんでない。銘々理で抑えて居るようなもの。気の去らんは何でもない。堪いられんは救けにゃなろまい。しく/\ありて心は散乱とも計り難ない。いんねんの理を治めば、何でもない事である。』(M24.08.07)
『さあ/\尋ね出る処/\、身上に事情ありて尋ね出る。どうでもこうでもいかん。一つ赴かん。どうであろうと日々思う処、日々立て替えよ。救けにゃならん救からにゃならん一つ中に、身上鮮やかならん処、聞き分け。不自由さそう難儀さそうという親が有るか無いか。事情聞き分け。事情は世界、いんねんの理にある。この理から成程という理定め。一時大層々々、先々どうという理持たず、世界事情見て成程というは、一つのさんげになる。一時大層。これだけ運んで居るのに、どうであろうという理持たず、事情治めてくれ。これだけ諭すによって。』(M24.08.07)
『さあ/\尋ねる事情/\、身の処/\一時身上になる理い、どういう事もこれまでにだん/\諭してある。さあ/\遠くも掛かる近くも掛かる。さあ一時どういうものであろう、と思う。案じるであろ。さあ/\遠くへ行けば行く所で掛かる。内へ戻る一つ理が掛かる処、直ぐと諭せば、一つの理急くやない/\。』(M24.08.05)
『さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\まあ日々の処に心に掛かる一つの事情、どういう事もこういう事も、尋ねるに尋ねられん事情、後々どうなるとて、心に掛かりあれば許すによって、日々の処暫く許して置くによって、心置き無う通るがよい。
押して願
さあ/\尋ねるまでやで。尋ねるまでの事情聞き分け、暫くの間許そと言うたる事情、成るに成らんは事情にある。よく事情聞き分けて置かねばならんで。』(M24.08.04)
『さあ/\何か心に掛ける事は要らん。それは寄り来る心ある。他に一つの心分からん/\。幾名何名こんな事なら、まあそこにあるものあこにあるもの、心に掛ける事は要らん。これより先十分運んである中運ぶ中、他に一つの中、日々心得。これだけ知らし置く。何処にどのよの者、恩を重なり/\どうもならん。心に掛かる。出け心でない。あちらこちら日々の処、恩を重なる事をして置くで居る。心置き無う安心。後々心得、運ぶ道綺麗なもの。他に一つの処でないで。これだけ心に持たねばならん。』(M24.07.26)


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