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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『通った中に道ある。真の心以って出来て来る。皆大抵やない。山坂をも道を付けたら楽々の道も運ばれるやろう。』(M26.12.16 おさしづ〔神様のお言葉〕)
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『一時の“にをい”というは、消え易きもの。深き事情、心の理というは、いつ/\までの“にをい”という。』(M25.07.04 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『“にをいがけ”という。古き諭(さとし)にある。一人の精神の事情あれば、一国ともいう。』(M25.05.28 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『さあ/\神一条の道は、表と裏とある。裏の道は誠の道、一つさあ/\日々に運ぶ処は、誠というは通り難いものである。蔭の道は難しい道、表の道は通りよい。世界の道は通り、通り難くい神の道は内、表と裏との道である。内に運ぶ人が少のうてならん。』(M21.05.21 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『人間というは、今日までの日はわかるであろ。明日日(あすにち)の事は分かろうまい。』(M26.05.11 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『善い事すれば善い理が回る、悪しきは悪しきの理が回る。善い事も切りがなけねば、悪しき事も切りがない。………理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返す、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く。』(M25.01.13 おさしづ〔神様のお言葉〕)
1940年に、一通の形式的な手紙が「受取人死亡」と記されてAREに戻って来ました。
18年間彼は全く絶望的状態で治療面で善意のクリスチャンに完全に頼り切っていました。この経験は、ネロとして君臨したことによるカルマの多くに彼が出会い、それを克服することを可能にしたことでしょう。〔900-295〕の報告の6ページは明らかに〔33〕氏のことを述べており、こう伝えています。

「肉体的な観点からは何もたいしたことはすることはできなかった、しかしその男に与えられた情報は、他人によって彼が文盲だと考えられていたのは確かにせよ、彼の中に霊的理解のようなものを目覚めさせ、また、彼――その実体――は地上平面における経験の別の時期に於いて、人類に施した破壊のために彼に割り当てられた破壊的力を、彼の潜在意識的自己で認識するようになる。………彼は今や自分自身と向き合っていることに気が付く、そしてそれと共に彼は、創造した………」(900-925)

ですから私たちは、破壊的な思考・感情・行動に満ちた生に起因する惨状を見ることになるのです。
(『転生の教訓』 メアリー・アン・ウッドワード著 加藤整弘訳 たま出版刊より)
これら最後の言葉は若者に送られたオリジナルのリーディングには含まれていませんでした。ケイシーはしばらく彼と文通し、勧められた大きな病院の一つに行くように説得しようとしました。
そこに行けば、脊柱の部分部分を取り除き、入れ替え、ワイヤーによる再固定をし、最終的に、体は前かがみになるけれども運動は復活するというのでした。
若者は奇跡的な“癒し”を求めていたのが明らかです。なぜなら〔1928〕に於いて彼は書いています。

「あなたが病院を手配したとおっしゃってくれている手紙を受け取りました………もしあなたが私を治せるとおっしゃるのなら、あなたに1000ドル差し上げます。またもしそうでないなら、何も差し上げません。それが公正ではありませんか?」(33-1)

つづく
勧められた治療は、主にマッサージと今一度の手術でした。厳密にリーディングに従えば、最終的に(前かがみの姿勢ではあるが)体の運動機能を持てるだろう、と彼は告げられました。リーディングの終わりは次のようなものでした。

「最善の発展を築くような状態に心性全体を保て、というのも、見てきた通り、こうした状態の多くは体の心的力及び霊的力の作用による報いとして受けとるものだからだ。だから最初に与えられた通りなのだ。見るがよい、これはネロだ。」(33-1)

最後の分は、ほとんど聞こえない小声で述べられました。

つづく
「さて、現在の肉体平面を通っているこの実体の経験は、地上の経験をくぐりぬけている発展途上の実体として見ると、肉体的状態よりも興味深い、というのはこれらは、助力や救済はもたらされるかもしれない一方で、疲れを知らぬエネルギー、骨折り、忍耐、そして根気によるのでなければ、体の通常の力をもたらすという点では、ほとんど何もできることはない、という性質のものだからだ。というのも、頚椎と第一脊椎に、脊椎の間の軟骨性の力の一部が押し潰されたという状態が過去に於いて存在していたことを見出だすのである。エネルギーの流れをそらしたり、ふせいだりするよう状態をもたらすくらいで、脊髄を直接傷つけるには不十分である。」(33-1)

つづく


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