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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『元初まりの理を聞き分け。理を見よ。人間心で始めたのではない。拵(こしら)えたのやない。誰に談じてしたやない。今日は晴天、今日は雨かと、この理を分かれば、理は鮮やか分かる。』(M22.03.10 おさしづ〔神様のお言葉〕)
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『さあ/\神一条の理は一夜の間にも入り込むなら、どうしようとままや。朝あちら向いて居るを、こちら向けるは何でもない。前々聞かしてある。何処へ頼むやないと言うてある。』(M21.07.23 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『何でもという真実の理と、その場だけの理と、どうでも印貰わねばならんという理と、理によりて、与える与えられんの理がある。』(M27.07.12 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『身の内“かりもの”/\と聞いた時だけ。一日経ち十日経ち言うている間に、二十日経ちついには忘れる。』(M24.11.15 おさしづ〔神様のお言葉〕)

注)身の内=人間の肉体、身体。人間の身体は人間が魂の修行をさせていただくために、神様からお借りしている衣服のようなものであり、寿命が来ると神様にお返ししなければならいが、魂は永く続く修行のために何度も何度も生まれかわる。魂は個人個人のものであり、その心には自由意志をお与えいただいている。

ひろ
『心では十分“たんのう”の理は治めて居る。尽す一つ、運ぶ一つの事情に、理が治まらにゃならん。十分“たんのう”して、夕景一つの礼を言う。』(M25.07.27 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『天然自然というは、誰がどうする、彼がこうしょうと言うても出来ん。独り成って来るは天然の理。金でどうしょう、悧巧(りこう)でどうしょうというは、天然であろまい。世上から見て、珍しいなあ。何処から眺めても成程、というは、天然に成り立つ理。』(M33.05.31 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『真実一つで難儀不自由の道を通りて、今日の日という。もうこれ長らえての道を通りて、艱難の道を知らずして、あんな阿保らしい事は措(お)いたらよいという。こうしたら勝手が良い。こうやれば良いと思えど、天の理でいかん。治まらんで。………皆んな心を合わせてすればいかんやない。』(M22.09.16 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『一あっての二、何程賢うても、晴天の中でも、日々の雨もあれば、旬々の理を聞いてくれ。聞き分けねば一時道とは言わん。』(M26.12.16 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『空を思わん者は無い。空ばかり見ては踏み損なう。旬という道という理がありて、空という。』(M32.02.02 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『旬々の理を見て蒔けば、皆実がのる。旬を過ぎて蒔けばあちらへ流れ、遅れてどんならん/\、とんとどんならん。』(M22.07.31 おさしづ〔神様のお言葉〕)


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