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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『木は元やで、元は順々に芽が出る、栄える。………元というは、古きものは大切にすれば花が咲く。………古き元あればこそ大切。元無くてはならん。元というは、古きものが元、元より花咲く、実がのる。元あればこそ花咲く。』(M22.10.10 おさしづ〔神様のお言葉〕)
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『成るも“いんねん”成らんも“いんねん”。成ろうと言うて成らんが“いんねん”。しょうまいと思うても成るも“いんねん”と言う。そんだら信心せえでも、と思うなれど、よう聞き分け。今年に蒔いて今年に生える種もある。そのまゝ腐る種もある。一つの理を蒔くには、種と言うは、選って/\選んで、選って/\蒔けば、一つの理も生えると言う。』(M26.10.12 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『人間というは残らず神の子供。救からんやならん処の理より、救からん処の理を聞き分け。………変わるは一つの案じ、変わらんは一つの誠。』(M22.09.21 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『思うよう成るも“いんねん”成らんも“いんねん”。………金銀力で行かんが“いんねん”という。これを聞き取って、一つの“いんねん”とは、世界見れば知らず/\通り、身の内に不足あって“たんのう”は出けまい。世上の理を見て、いかなる理、“たんのう”とは真の誠より。真の“たんのう”は真に受け取るという。』(M23.08.26 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『これだけ運ぶ、これだけ尽すのにどうであろう、という理を持たず、“いんねん”一つの理を心に治め。』(M24.04.15 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『“いんねん”という、“いんねん”一つの理は、“たんのう”より他に受け取る理は無い。よう聞き分け。しっかり一つ“たんのう”の理を治めてくれ/\。』(M29.10.04 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『あちらこちら人が出る。籠(こも)らん道もある。道に流るる水を、途中で理を揚(あ)げて了(しま)えば、育つ事出けん。いかなる者でも、この話を聞いたら改良せねばならんで。』(M29.03.31 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『急いてはいかん、急いてはならん。皆天然という心どんと定め。』(M33.05.27 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『さあ/\どうなるも、こんな事と思う事はどんならん。人間というものは、心に思てどんならん。………どんな事もこんな事も、内々睦まじいのは一つの台やで。』(M21.03.04 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『濁(にご)りはどうもならん。仕切りて道の理治めて、どうでもという精神薄いから、人の心に流れ、人の心に流れて、この道立って行くか行かんか、よく聞き分け。』(M34.05.25 おさしづ〔神様のお言葉〕)


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