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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『………天という見通しの理の上を越そと思うても、越さりゃせん。一人二人で足場無しで登れるか。よう思やんしてみよ。台という理分からねば、何処から登ろうと思ても登られん。………』(M31.02.27 おさしづ〔神様のお言葉〕)



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『………元々は難渋ではなかったけれども、有る物もやって了(しも)うた。難儀不自由からやなけにゃ人の難儀不自由は分からん。一寸(ちょっと)ほのかに覚えて居にゃならん。………』(M23.06.12 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『理のある限り神の“さしづ”の理は変わらん。………何が間違う、こうが間違う思う心が間違う。………皆分からんで、日々苦労して居る。それはどうしたさかいにどう、こうしたさかいにどう、という理は無い。医者の手余り捨てもの救けるが、神の“たすけ”という。』(M29.05.01 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『さあ/\何か心に掛ける事は要らん。それは寄り来る心ある。他に一つの心分からん/\。………何処にどのよの者。恩を重なり/\どうもならん。心に掛かる。出け心でない。あちらこちら日々の処、恩を重なる事をして置くで居る。』(M24.07.26 おさしづ〔神様のお言葉〕)

註)盗難にあった方が、おさしづをいただかれた。盗難にあうということは、物が大切な物ほど命にかかわることを大難を小難(身代わり)にご守護いただいたのであり、また盗んだ人も出来心からではなく、因縁が出たものなのだと言うことのようです。

『不自由の処、“たんのう”するは“たんのう”。徳を積むという。受け取るという。これ一つ聞き分けにゃならん。』(M28.03.08 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『………天理王命と称するは、一つの宗旨である。天理王命と元一つ称するは、天の月日である。元一つ始めるは、女一人である。……』(M21.07.31 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『……皆(み)んな心を持ってこそどんな事も出来る。すれば、どんな刃どんな槍が差し向けようが、どんな敵に向かおうが、皆真実天に供えて運べば、天より防ぐ。天より守る。』(M33.05.07 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『………“いんねん”というは、出けん“たんのう”するは、前生“いんねん”の“さんげ”。前生“いんねん”は、これより“さんげ”は無いで。………』(M32.03.23 おさしづ〔神様のお言葉〕)


今回の節は、ほんとに大きな節で、命があるだけ、生かさせていただいていることが、大きなご守護だと思わせていただいています。(^0_0^)

信者さんたちも、音信不通になったり、一番力を入れて命掛けでおたすけさせていただいていた精神の身上の理の子も、暴走に暴走を重ねて手がつけられないようになってしまっていますが、すべてを神様のお任せして成って来る理を喜んで通らせていただきたいと思っています!!(*^O^*)

ひろ

今日からリハビリが本格的に始まりましたが、やはりずいぶん体力が落ちてしまっているようで、ぜんぜん思うように身体が動きません。(((^_^;)

改めて、『かしもの・かりものの理』を勉強させていただいているように思います!!(^0_0^)

ひろ



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