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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『………この所は親里………。遥(は)る/\゛遠くの所から出て来れば、暑ければ暑かったであろう。寒かったら寒かったであろうなあ、という。麦という、麦に太白を入れて、何でも一寸(ちょっと)々々出さねばならん。………満足さすが親の理………。』(M23.06.23 おさしづ〔神様のお言葉〕)

※ここで言われる麦とは、大麦をひいた“はったい”粉のことで、太白とは白砂糖のことです。(ひろ)

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『………慎みが理や、慎みが道や。慎みが世界第一の理、慎みが往還や程に。これ一つ諭し置こう。』(M25.01.14 おさしづ〔神様のお言葉〕)

※昨日のおさしづの中の“竜頭”とは、昔の時計の竜頭(りゅうず)というものから、来ているようですが、意味合いは「肝心要なもの」=「肝心要な者」ということで、家庭にあっては家長、教会にあっては教会長ということになります。(ひろ)


『………そこで日々の処身上に切なみ回って了(しま)う。そんならその者に迫ればよいようなものや。なれど一つの竜頭(りゅうず)に皆掛かる。………』(M23.06.20 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………身の不自由、不自由の勤(つとめ)が“こうのう”の理という。よく聞き分けさゝにゃならん。暫(しばら)くという。身の不自由は行(ぎょう)。よう聞き分け。身の行は心に理を持って通るであろう。不自由々々々日々に“こうのう”尽す“あたゑ”。身の不自由が“こうのう”/\の理をよく聞き分けささにゃならん。』(M22.10.29 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………これまで艱難(かんなん)苦労の道を艱難と思うなよ。いろ/\の理から一つの理を聞かさにゃならん。どんな処も悪い処も善い処もある。理という、どういう事も聞かさにゃならん。結構の日もどんな日もある。案じる事は一つも無い。』(M22.01.24 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………悪を善で治め、“たすけ”一条、千筋悪なら善で治め。悪は善出る処の悪の精抜けて了う。』(M22.02.07 おさしづ〔神様のお言葉〕)

すみません!!m(__)m
文字落ちがありました。

いろんないやがらせや、困らされるようなことがあったとしても、「ああこれでいいんだ!!」としっかり“たんのう”させていただいていると、知らぬ間に、相手の悪の精が抜けて治まってくるようになる、ということです。(^0_0^)

ひろ



『………悪を善で治め、“たすけ”一条、千筋悪なら善で治め。悪は善出処の悪の精抜けて了う。』(M22.02.07 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………天の“あたゑ”というは、薄きものである。さあさあこれで、さあ/\ふと思う心が後や先が分からんから、さあ/\早く聞き分け/\。めん/\年々の“あたゑ”、薄きは天の“あたゑ”なれど、いつまでも続くは天の“あたゑ”という。めん/\心より分かろまい。心より思案をすれば、皆々分かるであろう。』(M21.09.18 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………どんな処も、いかな処も、知らし置き、世界の理知らし置く。めん/\の身上から何程の処といえども、いかなる処といえども、日々に運ぶ道筋が、蔭(かげ)日向(ひなた)になりて、裏表になりて運ばにゃならん。裏へ廻りて表へ出て、運ばにゃならん。』(M21.08.06 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………前生なんというは、これは一々古き者何も分からん。今にそう成ろうか、何かの掛かり………』(M23.10.13 おさしづ〔神様のお言葉〕)





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