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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\何放っといても、一日も早く心の休まるよう、皆々話せにゃならんで。一二三と言う。一と言うたら一、二と言うたら二、三と言うたら三、一つ/\組むようなもの。成程という理治まれば十分神が守護する。これだけ働き守護、皆知って居る。人間心と思うては違う。人間業では出来やせん。あら勝手じゃあら人間心じゃ。人間心は更々無い、日々心の面白い話も茶話事も言うたりさしてある。心というものは、皆んな神が守護してある。これよう聞き分け。』(M39.05.20 おさしづ〔神様のお言葉〕)


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『さあ/\尋ねる事情/\、身上一つの事情、長らえて事情、いかな事と思い/\日は経つ。いかな事も諭する一つの理身上迫る。一時ならぬ身上は大層なれど、一時ではない。何かの処、よう聞き分け。長らえてどういう事でと思い/\皆々家内一つの理を諭しよう。長らえて年限の日、今日まで居る。内々何たる事でと思うであろう。道という理を心に持って、成らん/\の日もある。何でなるとは更に持たずして、皆諭の中に籠りある。この理諭し置く。為す事成ろうと言うても成ろまい一つの理、成るまいと言うても成って来る一つの理、いかな理も治め来れば又々の日もある。何で成るとは更に持たず、これだけ年限の中、これだけなあ思うやない。成っても成らいでも道という理を心に治めてくれ。』(M39.08.17 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\長らえて/\常という心を映し通りたる処、なか/\の年限尽した理は、何処へも行かせん。十分治まりたる。さあそうしたら身上どう思う、よう聞き分け。いかな事も聞き分け。十分働いた理は、しいかり受け取ってある。受け取った理に、身上これなるはどういう事であろうと思う。そら思うやない。さあ身上大層なれど、一時どうとはない。尽した中にこういう事と思う思う処取り直し、心改め替え、さあ不足は思うまいなれど、身上不足からつい思う。さあよう聞き分け。身上不足なりて何のたんのうは出けやせん。なれど、不足中たんのうは前生いんねんのさんげと言う。尽した理は何処へも行きやせん、心迷うやない。迷うてはならん。よう聞き分け。ほんにこんな事やったかいなあと取り直し、不足思うやない。身上不足中たんのう出けやせん。不足中たんのうは前生さんげえと言う。皆の中も同じ事やで。これをよう心取り直して改め替え。さあこれだけ諭し置こう。(M39.05.03 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上に掛かりていかなものと皆々思う/\。一日の日尋ねる事情は余儀無く事情である。皆道の中の理幾重中皆々籠もりあるであろ。さあ身上に掛かる処、いかなものいかな事と思う。そら思うやない/\。よう聞き分け。この道は大抵で出けた道やない。これまで一日の日にとってどうなろうと思うた日もあろう。この事思えば、どんな事も楽しんで永く心持って急いてはならん。年限思わにゃならん。年限の中に、どんな事もこんな事も思う事あろ。そら、思うてはならん。一代と思うてはならん。いかな事も思うて、どんな事も取り直せ。道の初めはどんな事も分からん。道これまでとんと分かりて分からん。皆ならん中から出て来るは理と言う。皆心永く心持ってくれ。身上から尋ねたら、こういうさしづありたと。急えてはならん。生まれ更わり、生まれ更わり/\まで聞き分けて楽しんでくれるなら、長く事であろ。長く理であろ。運んだ理のこうのうは、末代の理と思うてくれ。。身上案じる事要らん。目は台と言う。根と言う。どんな事も急えては
ならん、急えてはいかん。道は永く心繋ぎ、永く心持って楽しんでくれるよう。身上は案じる事要らん、すっき
り案じてはならん。』(M36.02.10 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『………この道分からんから曇る。一寸曇れば何にも分からん、始められん。晴れん心にもろ/\がどうもならん。これ一つ何でも晴らさにゃならん。世界一遍に晴らそうと思えど、あちらから雲が出る、こちらから雲が出る。今までの処存命の間、一々一つの事情委せ置いたる。ふでさきにも出てある。十二下りの理にも出てある、十二下り出て居る。この事情からはい/\、この事情から聞き分けたゞ一度の道じゃあろまい。通りたら分かる。三年これまで楽しんだる、世界明らかと言うであろう。遠慮気兼は要らんと言うたる。頼み置いたる一つの理、十二下り一人の身体より治め来たる処、誰が頼りであるか、一人の目当てに入り込んだる、中々大切、誰が大切、いかなる処も仕上げた。入り込んだる身体というは、若き者であろうか、学者であろうか、智者であろうか、よう聞き分け。この道始め掛けたる、草生えの中から始め掛け、どんな事も出てある。もうこれ心さえ曇りが無いと思う。曇りさえ無くば何も怖わき恐ろしいは無い。もう一段一寸掛かり掛ける。一度にも仕上げる。一
時の理一時は一代、一つさあ、一代も一年、一年も一代、これ事情にて悟ってく れ。………』(M26.01.13 お
さしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\尋ねる事情/\、身上の処にて心得ん。内々に皆心得んという。心得んやない。一つ諭してやるがよい。所に一つ道/\のため、道々のためどんな事もこんな事も案じる事は無い。要らん事に案じる。余儀無くの事情であろう。なれど心に思えば身上に掛かれば仕様は無い。身上の処より、何でもぢばへ出てと思う。ぢばへ出てと思う理は十分受け取る。なれども急く事は要らん。身に不足なりてはどうもする事も出来ん。心に一つの事がある。めん/\の心に掛かるなれど、はくにはけようまい。はけんから身に掛かる。身に掛かれば、どうも仕様あろうまい。この理を諭してやれ。この理悟れば、身は速やかと成る。』(M24.01.13 おさしづ〔神様のお言葉〕)

※はくにはけようまい=不足の思いを心の中から掃き出して、心をしっかり治めようと思っても、“たんのう”がしっかり出来ないので、なかなか心が治まらない。(ひろ)

『さあ/\尋ねる処/\、だん/\事情といえど、そらこうもせにゃなろうまいか/\そら思う。よう聞き分け。これさしづという理、どういう理に思うて居る。 尋ねたらそこえ/\さしづしてある。どんな事もさしづ以て善運ぶなら、いかなる日も楽しみ。なれど人間同志運んでやった事情は先々分からん。めん/\苦しみ、傍傍(はたはた)も苦します理にならせんか。これから先は尚々事情よう聞き分け。草生(くさば)いの中から今日の日なら、神の道、神一条分からにゃならん。先々よく/\聞き分け善き善き理治めにゃなろまい。』(M27.01.21 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\いかなる事情尋ねる。尋ねるから聞かそ。大抵の理は聞いて居る。難しい事は言わん。一つの道を見よか、一つの道運ぼか、この理を受け取りある、内々ちゃんと朝は起きる、日々頼もしい/\。それから理を出せばどんな理も出る。睦まじいは誠、天の理である。この順序伝え、皆同んなし理や。けれども一人々々分けて聞かさにゃ、これでは/\案じあるで。そこで一名々々のさしづ、誠の心さいあれば、自由自在。誠より外に理は無い。この理を治め。生涯と定め。未だ/\未だの心治めは誠である。』(M20 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\よう聞き分け。ちゃんと身の障り、その時/\/\、皆さしづがしてある。急いでもういつやら、今日の今日やら、明日の明日やろうかて、さあ/\自然天然の道を慕う。一代では長いよう思う。心も世界も神の道、今日やろうかて、明日やろうかと、どんと一つの身の障り、一つ踏ん張りの身の障りがある。天然自然の道を踏む日が延びる、月が延びる。天然自然の道というものは、一つ踏んだら一つ、二つ踏んだら二つ、三つ踏んだら三つ。これは一寸も動かん。これが第一の処がある。』(M27.07.26 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\皆々寄り合うた中というは善い事も一つ、思やんも一つ、これ第一よく心得てくれにゃならん。皆々話した理は誰に怨みもあろまい。一つ事情又この理、どちら一つ理合わせようにも、誰に遠慮気兼は無い。道何処にも障りは無い。世界応法及んで、あちらへこちらへ、なか/\この全国という所へ一つ理映すは、なかなか容易の理でない。よう聞き分け。これが一つ証拠。これが頼りに治め。どんな日もある/\。難儀不自由日もある。又、頼もしい日がある/\。ばったりと心に煩わんよう。これだけ、しっかり心に定めてくれにゃならん。』(M37.03.27 おさしづ〔神様のお言葉〕)




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