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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『ぢばへ寄せたる処の理、又後に一つの理を運んだる処、一日の日の処は、やれ/\と思うた。神一条の一つの理を運べば、これ神の道であろう。今一時尋ねる処は、どうせこうせとは言わん、と諭したる処、成るが一つの理成らんが一つの理。さあ/\遠く道ではない。近くの処、日々に事情を治められる。一日の道もあれば、十日道もある。十日の道もあれば、三十日の道もある。朝に来て昼に戻る、昼に来て暮に帰る。さあ/\これ一つの事情の理をよう聞き分けて、成らんの理を無理にせいとは言わん。まあ一寸やれ/\、まあ一日の日はあちらも同じ、こちらも同じ理、もう何とも/\楽な道もある。さあ二十年よりの理を見分け、聞き分け。世上にはあろうまい。さあかたが無くては定められようまい。ひながたの道を見てよう聞き 分け。』(M22.01.07 おさしづ〔神様のお言葉〕)


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『さあ/\だん/\尋ねる処、さあ/\心を鎮めて分からん事は尋ね返やせ。さあさあ台が定まれば皆定まる。一つ定まりゃ皆定まる。ろっくに直すが一つの理、その台という理を聞き分け。ろっくの台を直す処で、じっと台を直せばじっと治まる。これは道理の理、これを分からんなれば、尋ね返やせ。それ台一つの理をよう聞き分けねばならん。まあ遠いように思うたる処、二年三年では分からんと思うたる処、一時どうであろうと思う。なれど、見えたるなれば、これが神の道の理という。後々の理を思うて見よ。先ず外れた理はあろうまい。今一時尋ねる処というは、生涯の理を尋ねるから、生涯の理を諭そ。間違いと思えば、これ心の理が間違う。深きの理、いんねん深きの処、一つの理が治まれば一時一つの理が治まる。』(M22.01.07 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\尋ねる事情、尋ねにゃなろうまい、どうでもなろまい。どういう事である。日々の処の事情、日々に忘れられん。よく/\事情聞き分け。どうなろうという心持たずして、日々の理であるよく聞き分け。どういう事、こういう事情、日々心に持たず、成るべく/\一条始め掛けたる。何たる事情持たず、どういう事情、こういう事も先々心まで計る、余儀無き事情ある。どうしたらこうした、先々案じ無きよう、事情治めくれるよう。放って置く事もなろまい。内々事情ある、先々めんめん家内治めてくれるよう。』(M24.01.08 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\事情尋ねる処、いかなる事情も尋ねる。事情もって尋ねる。事情一寸どういう事であろう。何にも案じる事も要らん。これだけ拡がり、世界どんな事を言う。訳の分からん子供頑是無い子供が、欲うて/\ならん。怖わい事も何にも無い。心を悠っくり持って、物をやるにも明日やる拵えてやる心ばえ。何程無理を言う奴言わし、風吹くようなもの。東風も吹く、西風も吹く。元々のぢば元のをやが踏ん張って居るから、だん/\理が聞こえる。元を出して触れ廻る、こう言えばこう。今一時出越す処諭しよう。物事急いていかん。おめも恐れも要らん。行って談示をして善い/\と言えば善いので、善いで一つ理が定まる。それより理が切るものである。理を取って了うたらそれ切り。事情一時に持って一つの心治めてくれるがよい。さあ/\遠い所一つ元々の理を互いに、事情速やか許そう/\。』(M28.01.14 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\尋ねる処、さあ/\身上事情以て尋ねる。身上どういう事であろう。一時身上一寸迫り切る。案じる事であろう。どうで道に朝に曇り、昼になればやれ/\と言う。第一一時道に急いたとて通れるものじゃない。他に事情持って楽しむ事情、どれだけ急いたとて成るものじゃない。心を治めて居る。日々年限鮮やか。一日の日早く心の治め方、取り方、身の事情大層、一つ諭し置く。一つには元に一つの事情鮮やかの理を世界と言う、日々と言う。これはどう、どう成る道の理がある。早く聞き取らにゃならん。めん/\こうと言う、世界どう、他に事情持って治め。鮮やか一時早く諭してくれるよう。』(M26.01.17 おさしづ〔神様のお言葉〕)


この話は、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれています。
これは、「人間(じんかん)万事(ばんじ)、塞翁(さいおう)が馬(うま)」と読み、「人間(世間の)万事(すべての出来事は)、塞翁が(さいおうの)馬(うまの如し)」という意味です。ちなみに「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。

城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福(ふく)から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福(ふく)へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものであるという事です。また、「吉凶禍福はあざなえる縄の如し」という格言とも同じような意味合いです。

※天理的に本当の意味においては、人間には前生の因縁というものがあり、神様はその人の因縁に応じて、一見不幸や辛い生活及び事故や病気を通して、心の入れ替えを促し、悪い因縁を納消させて善い因縁に切り替えていただいているということを表した見事な格言であり『天理』であると思います。又、その他にも諺(ことわざ)や古くから言い伝えられている格言なども、やはり『天理』を表していると思われます。
特に、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という格言がありますが、これを『身を捨ててこそ立つ瀬がある』というふうに、愛町分教会初代会長関根豊松先生が、よくおっしゃられていたようです。
後、「情けは人の為ならず」、「人事を尽くして天命を待つ」、「実るほど頭(こうべ)を垂(た)れる稲穂かな」ということなども、ゆらぐことのない『真理 』であり、『天理』なのだと思います。(^0_0^)

ひろ

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが、幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが、災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが、幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

つづく



昨年の8月の末に、僕自身を証明するすべてのものが、カバンごと消えて無くなってから、昨年の11月17日~12月18日、そして、今年に入って、1月19日~3月5日までの入院、そして、やっとどうにかこうにか動けるようにならせていただいていました。
ところが、3月22日の夜、お風呂で手がすべって、肋骨を骨折してしまい、家では動くことさえままならないので、再び入院させていただいています。(((^_^;)

普段は、足が不自由なんですが、車椅子に乗って自動車でどこでも行かせていただくことが出来ていました。しかし、肋骨を骨折して寝たきりみたいになってしまうと、たとえ足が不自由でも自由に動かせていただけることの有り難さを身を持って体験させていただき、“かしもの・かりものの理”を再認識させていただくことが出来ました!!(^0_0^)

ひろ



『さあ/\分からん/\、何にも分からん。百十五才、九十才、これも分からん。二十五年不足、どうであろう。これも分からん。どうしても、こうしてもすうきり分からん。故に二十五年を縮め、たすけを急ぎ、扉を開いて世界をろくぢに踏み均らしに出た。神でのうてこの自由自在は出けようまい。………違々刻限話をする。』(M20.02.24 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\分からん/\、何にも分からん。百十五才、九十才、これも分からん。二十五年不足、どうであろう。これも分からん。どうしても、こうしてもすうきり分からん。故に二十五年を縮め、たすけを急ぎ、扉を開いて世界をろくぢに踏み均らしに出た。神でのうてこの自由自在は出けようまい。止めるに止められまい。神は一寸も違うた事は言わん。よう聞き分けてくれ。これから先というは、何を聞いても、どのよの事を見ても、皆楽しみばかり。楽しみや。よう聞き分け。追々刻限話をする。』(M20.02.20 おさしづ〔神様のお言葉〕)




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