忍者ブログ
僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
[104] [103] [102] [101] [100] [99] [98] [97] [96] [95] [94]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日、ある天理教関連の掲示板に投稿させていただきました記事ですが、ひじょうに重要なことだと思いますので、これを今日の記事とさせていただきたいと思います。

「なぜ?親神様は、人間。世界をおつくりになられたのでしょうか?」という質問に対して僕は、親神様は、『神人和樂の陽気ぐらしの世界』を建設するためにと答えさせていただきました。
すると今度は、「それではどうして、様々に苦しみ悩む人があるのだろうか?」というような内容の質問がありました。それに対して僕がお答えさせていただいたものです。


親神様は、『おふでさき』において、

12.088
月日にわどのよなものもわが子なり かわいばかりでみてハいれども

12.089
いまゝでハせかいぢううハ一れつに めゑ/\しやんをしてわいれども

12.090
なさけないとのよにしやんしたとても 人をたすける心ないので

12.091
これからハ月日たのみや一れつわ 心しいかりいれかゑてくれ

12.092
この心どふゆう事であるならば せかいたすける一ちよばかりを

12.093
このさきハせかいぢううハ一れつに よろづたがいにたすけするなら

と仰せられているように、人間を創造して『その人間が、陽気ぐらしをするのをみて、親子共々に楽しみたい』と思召されているのだと思いますが、人間にはたった一つだけ心の自由をお与えになられました。
親神様は、人間を創造されてから九億九万年は水中のすまい、陸上に上がり知恵を仕込まれて六千年、そして文字の仕込みから、天保九年まで三千九百九十九年と仰せになられています。
その間に、元々清水のように澄み切った人間の心(魂)が生まれ更わりを繰り返し、知恵がつき欲が出てくるにしたがって、泥水のような心(魂)になってしまい、それから約百七十年経っている現在においても、人間は“我が身思案”ばかりの心づかいが強いため、なかなか成人することができていない成人途上の状態にあるということなのだと僕は思案させていただいています。

それゆえに、人間の苦しみ悩みは、すべて“我が身うらみ”なのであるということになると思います。そして、それを解消するために天保九年に、親神様が教祖に入り込まれて解き明かされた教えが、『天理教のみ教え』なのであると僕は悟らせていただいています。

結局は、一個人の人間の苦しみ悩みや、国と国との争い、環境破壊、様々な地球上においての問題は、すべて人間一人一人の“我が身思案”、“我が身うらみ”が招いた姿なのであると思案させていただいています。

そして、親神様は、せっかく『神人和樂の陽気ぐらしの世界』を建設しようとされているのにも関わらず、人間自身が自らの“我が身思案”、“我が身うらみ”によって苦しみ悩んでいるのだ!!という結論になります。
PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


忍者ブログ [PR]
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア