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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\身上一条の事情一点尋ねる/\。一つの理諭し、事情聞き、どういう事情聞き分け。難しい事情は言わん。これ日々の処出入れど、十分受け取る。世上身の処心得ん、どういうさんげしてと、日々に思うて居る。事情ある。いんねん/\、事情を以ていんねん。心の理/\どんと分かろまい。軽き事情もあれば、重き事情もある。一時の事情もある。長らえて一つ世界日々に尽す処、十分内々の治まりある。身の処心得ん。治まらん。同し神の子供、皆救けたい救けにゃならん。世上救ける。どうでもならん、身上ならん。不足だん/\不足々々十分不足、成った事情の事情、世界は覚束無き、だん/\事情聞いて治まりあれば、第一事情聞き分けねばならん。案じ要らん、案じてはならん。日々心得ん/\治まる。ついに心に治まる/\。もうどうでも/\こうでもならん。同し人間同し神の子供。あの身なら/\一つの心を定めるなら、諭は生涯諭と思えよ。』(M23.05.23 おさしづ)
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