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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第三号つづき

03.120
いまのみち上のまゝやとをもている 心ちがうで神のまゝなり

03.121
上たるハせかいぢううをまゝにする 神のざんねんこれをしらんか

03.122
これまでハよろづせかいハ上のまゝ もふこれからハもんくかハるぞ

03.123
このよふをはじめてからハなにもかも といてきかした事ハないので

03.124
上たるハせかいぢううをハがまゝに をもているのハ心ちかうで

03.125
高山にそだつる木もたにそこに そたつる木もみなをなじ事

03.126
にんけんハみな/\神のかしものや 神のぢうよふこれをしらんか

03.127
いちれつハみな/\わがみきをつけよ 神がなんどきとこへいくやら

訳)「今の道を、上のまま(自由)と思っているが、それは心違いである。〈この世は神が治めているので〉神のままである。上は世界中をままにする。これを“ざんねん”と思う神の心を知れ。これまでは万事世界は上のままであった。しかしもうこれからは文句が変わる(ままにできない)。この世を初(創)めてから〈のこと〉は何も彼も説いて聞かしたことはないので〈神が守護していることを知らず〉、上は世界中をわが儘に思って〈ままにして〉いるのは心違いである。高山に育つ木も谷底に育つ木もみな同じことである(木に変わりはない)。人間〈のからだ〉はみな神の“かしもの”である。神の自由(じゅうよう)〈であること〉を知れ。すべての人はみなわが身を気を付けていよ。神がなん時どこへ行く(働きに出る)かわからぬぞ。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著 天理教道友社刊参照)

注)高山に育つ木=身分の高い人々、谷底に育つ木=身分の低い人々、ということで、身分の高低には関係なく世界一列すべての人間は平等の魂であり、すべて神の子(子供)なのであるということです。
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