忍者ブログ
僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
[922] [921] [920] [919] [918] [917] [916] [915] [914] [913] [912]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『さあ/\だん/\の席返し/\の席をして、一日の日は生涯心一つの理を以て一つ席とす。席の順序一つの理はよく聞き分け。生涯の理を諭する。生涯の理を諭するには難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。人間という身の内という、皆神のかりもの・かしもの、心一つ我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆んな受け取る。日々に皆んな受け取る中に、たゞ一つ自由という一つの理。自由という理は、何処にあると思うなよ。たゞめん/\の精神一つの理にある。日々常に誠一つ、誠の心と言えば、一寸には皆弱いように思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き取れ。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦ましいという一つの理が治まる。そら世界という成程という、成程の者成程の人というが、常に誠一つの理で自由。又一つ
、これまで運ぶ尽す中に、互いや扶け合いという、互いや扶け合いは諭する理。人を救ける心は、真の誠一つの理で、救ける理が救かる。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々の事情理めん/\の事情理治め。』(M23.04.14 おさしづ)
PR


忍者ブログ [PR]
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア