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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第三号つづき

03.092
このよふハにぎハしくらしいるけれど もとをしりたるものハないので

03.093
このもとをくハしくしりた事ならバ やまいのをこる事わないのに

03.094
なにもかもしらずにくらすこの子共 神のめへにハいぢらき事

03.095
なにゝてもやまいとゆうてさらになし 心ちがいのみちがあるから

03.096
このみちハをしいほしいとかハいと よくとこふまんこれがほこりや

03.097
このよふのにんけんハみな神のこや 神のゆう事しかときゝわけ

03.098
ほこりさいすきやかはろた事ならば あとハめづらしたすけするぞや

03.099
しんぢつの心しだいのこのたすけ やますしなずによハりなきよふ

03.100
このたすけ百十五才ぢよみよと さだめつけたい神の一ぢよ

訳)「この世は〈一れつ人間は〉、賑わしくくらしているけれども、〈人間生活の〉元を知っている者はいないので〈人々は苦しんでいる〉。この元を詳しく知ったならば、病〈などの身上・事情〉の起きることはないのに。何にも知らないでくらしているこの子供が、〈神の眼には〉いじらしい。どんなことでも、病というものはない。病があるのは心違いの道があるからである。この道というのは、“をしい”・“ほしい”・〈“にくい”・〉“かわい”・〈“うらみ”・“はらだち”・〉“よく”・“こうまん”、これが“ほこり”〈であり、病の元となる〉。この世の人間はみな神の子であ〈り、神は“をや”(親)であ〉る。〈親である〉神の言うことをしっかり聞き分けて貰いたい。“ほこり”さえすっきりと払ったなら、そのあとは〈だんだんと様々の守護を教えて〉珍しいたすけをする。真実の心〈を受けとり〉次第にたすけるので、このたすけによって〈人間が〉やまず・死なず・弱りないようにしたい。〈また〉このたすけとは、百十五歳定命と定めたい。〈これは全く〉神の
心の一条〈に思う話である〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
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