忍者ブログ
僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
[872] [871] [870] [869] [868] [867] [866] [865] [864] [863] [862]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『さあ/\だん/\の席、返やし/\の席をし、一日の日生涯一つの心を以て一日の日生涯の理を諭するには、難しい事は言わん。どうせいこうせいこれは言わん。言わぬ故、この理を聞き分けるなら、どんな事も鮮やかと言う。人間という、身の内という、身は神のかりもの・かしもの、心一つが我が理。日々幾重どんな理も皆受け取る。その受け取る中にたゞ一つ自由という、この理は何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理にある。誠と言えば、一寸に弱い、弱いようなものや。なれども、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば直ぐに受け取り直ぐに返やす一つの理、又一名一人の心に誠があれば、内々十分睦まじいの理が治まる。それ世界という成程の者成程の人というが、常に通る誠が自由という。又人を救けるというは、真の誠の心の理が、救ける救かる。これまで尽す運ぶ中に、互い扶け合いは諭する理、又所に一つ成程の者というは、第一には家業親孝心、二つ一つが天の理という。』(M22.10.09 おさしづ)
PR


忍者ブログ [PR]
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア