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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第三号つづき

03.073
十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ

03.074
このあいだしんもつきくるよくハすれ にんぢうそろふてつとめこしらゑ

03.075
にち/\に神の心のせきこみハ ぢうよじざいをはやくみせたい

03.076
これからハにんぢうそろをてつとめする これでたしかににほんをさまる

03.077
しんぢつにたすけ一ぢよてあるからに なにもこわみハさらにないぞや

03.078
なにもかもたすけ一ぢよとめるなら 神のさんねんみにさハりつく

03.079
しやんせよ万たすけのこのもよふ にんけんハざとさらにをもうな

03.080
いまゝでハなにかよろづがハからいで みなにんけんの心ばかりで

訳)「十一に九で(二十)苦がなくなって辛(しん)を忘れる正月二十六日を待つ。この間に“しん”も付き来る〈ので〉慾を忘れて、人衆が揃って“つとめ”のできる準備をする。日々に神の心に急込んでいるのは、自由自在〈のたすけの守護〉を早く見せたいということである。これからは人衆が揃って〈“かんろだい”の〉“つとめ”をする。〈この“つとめ”によって珍しい自由自在のたすけの証拠ができるので、〉これで確かに“にほん”は治まる。真実に“たすけ”一条であるから、どんな怖いことも全くない。〈ただ〉なんでも“たすけ”一条を止めるというなら、神の“ざんねん”が〈その者の〉身上に現われて来る〈とだけは言っておく〉。よく思案してみよ、“よろづたすけ”をするこのもよう(手段)は人間業と少しでも思ってはいけない。今までは〈胸が分からないため〉何についても無知のままに、人間心でやって来た〈が、これは違う〉。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)

注)七三のおうたは、明治二十年陰暦正月二十六日の予言をされているおうたと言われています。
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