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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第三号つづき

03.048
高山ハせかい一れつをもうよふ まゝにすれともさきハみゑんで

03.049
だん/\とをふくよせたるこのたちき よふほくになるものハないぞや

03.050
いかなきもをふくよせてハあるけれど いがみかゞみハこれわかなハん

03.051
せかいぢうむねのうちよりしんばしら 神のせきこみはやくみせたい

03.052
せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ 神がほふけやしかとみでいよ

03.053
これからハ神がをもていあらわれて 山いかゝりてそふちするぞや

03.054
いちれつに神がそふちをするならば 心いさんてよふきつくめや

03.055
なにもかも神がひきうけするからハ どんな事でもぢうよぢさを

03.056
このたびハうちをふさめるしんばしら はやくいれたい水をすまして

03.057
高山のしんのはしらハとふじんや これが大一神のりいふく

03.058
上たるハだん/\せかいまゝにする 神のざんねんなんとをもうぞ

訳)「高山は“せかい”の人をみな思うように勝手にしているが、〈眼の前のことだけで〉先(将来)のことは何にも見えていない。〈神は先を見てたすけるので、その“たすけ”のために働く者を〉だんだんと多く寄せてはあるが、この立木(人)で“よふぼく”(用木、人材)となるものは中々ない。いろいろな木(人)を沢山寄せてはあるが、〈精神が〉いがみかがみの(曲った)者は“よふぼく”に適しない〈ということを思案せよ〉。世界中胸の内より〈“わかる”ように〉“しんばしら”を早くみせたい。これを神は急込んでいる。〈そうしておいて〉世界中(“うち”も“せかい”も)胸の内を掃除する。この掃除には神が箒(ほうき)となるから、しっかり見ていよ。これからは神が表へ現われて、山(人間の生活)にかかわって掃除する。全部みな神が掃除をしたなら、〈人間も神も〉心がいさんで“陽気づくめ”となる。〈この“たすけ一条”の道は〉なんでも皆神が引き受けるから、どんな事でも、自由自在(じゆうようじざい)〈に神がたすけをさせるの〉である。このた
びは“うち”を治める真柱を早く入れたい〈故に〉水を澄まして〈行くのを急込んでいる〉。〈“うち”の真柱に対して〉高山の芯の柱は“とうじん”(“から”の者・神のことがわからぬ者)である。これが第一に神の“りっぷく”〈の元である〉。〈その高山に居る〉上たる者は、〈今まで〉だんだんと世界〈の人々〉をままに(自由に)してきている。〈これを見ている〉神の“ざんねん”を何と思っているか。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
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