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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第三号つづき

03.019
にち/\に神のはなしがやま/\と つかゑてあれどとくにとかれん

03.020
なにゝてもとかれん事ハないけれど 心すましてきくものハない

03.021
すみやかに心すましてきくならば よろづのはなしみなときゝかす

03.022
このよふのたしかためしかかけてある これにまちがいないとをもゑよ

03.023
このためしすみやかみゑた事ならば いかなはなしもみなまことやで

03.024
なにもかもいかなはなしもとくほどに なにをゆうてもうそとをもうな

03.025
めへにめん神のゆう事なす事わ なにをするとも一寸にしれまい

03.026
はや/\とみへるはなしであるほどに これがたしかなしよこなるぞや

03.027
これをみてなにをきいてもたのしめよ いかなはなしもみなこのどふり

訳)「日々に、“神の話”が山ほどもつかえてあるが、説くに説かれない。〈神の方から〉何でも説くことはできるが、心を澄まして聞く者がいない。早く、心を澄まして聞くならば、どんな話もみな説き聞かそう。〈この“かんろだい”については〉この世の確かな試しが懸けてある。これに間違いないと思え。この試しがはっきりと見え〈て来〉たなら、〈神の話は〉どんな話も、みな本当である〈ということの証拠となる〉。〈それ故〉何も彼も、どんな〈難しい〉話も説いて置くので、何を言っても嘘と思うな。眼に見えぬ神の言うこと為すことは、何をするのか〈簡単には〉分からないであろう。〈しかし〉直ぐ〈その通り実現されて〉見える話であって、これが〈神の話が真実であるという〉確かな証拠である。これを見て、何を聞いても楽しんで〈信仰について〉来い。どんな話もみんなこれと同じ道理である。」(〔おふでさき通訳〕芹澤茂著参照)
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