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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 このように、明かに、鮮かに、親神を信じることが出来るよう導かれたのであるが、なお、胸のわからぬ人々の心ない反対や、世間からのとめ立てが絶えず、それ故に、ふりかかる教祖の御苦労を思うては、時としてはためらい、時としてはまどう者もあつた。教祖は、これをもどかしく思い、ざんねん、りつぷくなどの言葉で厳しく急き込む半面、

 こらほどにさねんつもりてあるけれど
 心しだいにみなたすけるで      一五 16

 いかほどにさねんつもりてあるとても
 ふんばりきりてはたらきをする    一五 17

などと、温かい親心を宣べて、常に、子供達の心の成人の上に、心を配られた。
 かくて、教祖は、口に、筆に、又、ひながたによつて、種々と手を尽し、心を配つて教え導き、陽気ぐらしへのたすけ一条の道をはじめられた。更に、深い思わくから、親神天理王命の神名を、末代かわらぬ親里ぢばに名附け、又、一れつのたすけを急き込む上から、姿をかくして、存命のまま、恆に、元のやしきに留り、扉を開いて、日夜をわかたず守護され、一れつ子供の上に、尽きぬ親心をそそがれている。
 まことに、人は、ただ教祖によつて、初めて親神を拝し、親神の思召を知る。教祖こそ、地上の月日におわし、我等の親にてあらせられる。

 にんけんをはじめたしたるこのをやハ
 そんめゑでいるこれがまことや     八 37

(天理教教典第一章 おやさま より)
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