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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 人は本来、己が力で生きているのではない。しかも、己が力で生きていると思い誤り易いのが人の常で、そこには、涯しない心の闇路があるばかりである。たすけとは、かかる人々に、親神の思召を取り次いで、その守護のまにまに、暗黒の境涯から光明の世界へと導くことである。
 まことに、この道は、心だすけの道である。心がたすかれば、身上や事情の苦しみ悩みは、自らいやされ、解決される。それは、親神の思召にそのまま添いきるからである。

 心さい月日しんぢつうけとれば
 どんなたすけもみなうけやうで     八 45

 よふぼくは、仮令、年限の理に浅い深いの相違があろうとも、教祖ひながたの道を慕い、ひたむきなたすけ一条の心から、あらゆる困難を乗り越え、温かい真心で、一すじにたすけの道に進むなら、何人でも、親神の守護を鮮かに頂くことが出来る。

 しんぢつにたすけ一ぢよの心なら
 なにゆハいでもしかとうけとる     三 38

 わかるよふむねのうちよりしやんせよ
 人たすけたらわがみたすかる      三 47

(天理教教典第九章 よふぼく より)
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