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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 かくて、引き寄せられて親里に帰り、別席順序を運ぶ。だんだんの席を重ね、話の理によつてほこりを払い、行を正すうちに、心は澄んで、たすかりたいとの願は、たすかつて貰いたいとの念となる。そこに、さづけの理が授けられて、心は生れかわる。さづけの理は、よふぼくたる銘々の心に授けられる天の与えである。このさづけの理が心に治つて、初めて、こうのうを見せて頂ける。

 精神の理によつて働かそう。精神一つの理によつて、一人万人に向かう。神は心に乗りて働く。心さえしつかりすれば、神が自由自在に心に乗りて働く程に。 (明治三一・一〇・二)

と示されている。即ち、さづけの理を授けられたものは、日々常々の心遣いが大切である。さづけの理を頂いたその日の心を、生涯の心として通つてこそ、親神は、いつも変らぬ鮮かな守護を下さる。

 たん/\とよふぼくにてハこのよふを
 はしめたをやがみな入こむで     一五 60

 このよふをはじめたをやか入こめば
 どんな事をばするやしれんで     一五 61

(天理教教典第九章 よふぼく より)
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