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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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第三号つづき

03.007
これからハ水にたとゑてはなしする すむとにごりでさとりとるなり

03.008
しんぢつに神の心のせきこみわ しんのはしらをはやくいれたい

03.009
このはしらはやくいれよとをもへども にごりの水でところわからん

03.010
この水をはやくすまするもよふだて すいのとすなにかけてすませよ

03.011
このすいのどこにあるやとをもうなよ むねとくちとがすなとすいのや

03.012
このはなしすみやかさとりついたなら そのまゝいれるしんのはしらを

03.013
はしらさいしいかりいれた事ならば このよたしかにをさまりがつく

03.014
このはなしさとりばかりであるほどに これさとりたらしよこだめしや

訳)「これからは、水に喩えて話すので、澄むと濁りということから悟れ。神が心から急込んでいるのは、“しんのはしら”を早く入れたい〈ということである〉。この柱を早く入れようと思っても、濁り水のため入れる所がわからない。この〈濁り〉水を早く澄ます段取り〈として〉は、水嚢(汚れた水をこす袋のようなもの)と砂に掛けて澄ますようにせよ。そんな水嚢がどこにあると思うな、“むね”〈悟り〉と“くち”〈諭し〉とが砂と水嚢である。この話がすみやかに悟りがつい〈てよくわかっ〉たなら、直ぐに“しんのはしら”を入れる。“はしら”さえしっかり入れ(据え)たなら、この世は確かに治まりがつく。この話は〈人間の考えではわからないので、心を澄まして〉悟る以外にはない。これが悟れたら、証拠試しをする。」

注)“しんのはしら”とは、しん(芯、中心)となる柱で、ここでは“かんろだい”を指す。また合わせて“真柱”(のちの中山眞之亮初代真柱)も指している。
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