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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 しかるに、この親心を悟らず、天地を無視し、己が力を過信して、我ままな心を遣い、得手勝手な行をしているのは、万一切を支配し、総てを見ぬき見透されている親神の眼から見れば、あたかも独り歩きする幼児のようで、これほど危いことはない。

 どのよふなくどきはなしをするのもな
 たすけたいとの一ぢよばかりで     七 26

 一れつのむねのうちよりしんぢつに
 はやくわかりた事であるなら      七 27

 それからハ月日よろづのしはいする
 なにかよろづのたすけするぞや     七 28

 親神は、これをあわれと思召し、種々言葉を尽して、一れつたすけの限りない親心を明かし、よろづいさいの真実を教えて、自由自在の珍しい守護を見せられる。

 月日にハせかいぢううハみなわが子
 かハいいゝばいこれが一ちよ     一七 16

 親神は、人間の実の親にています。親神は、ただ一すじに、一れつの子供に陽気ぐらしをさせたいと望ませられ、教祖をやしろとして表に現れ、元初りのいんねんあるぢばにおいて、たすけ一条の道を啓かれた。

 ぢばは、天理王命の神名を授けられたところ、その理を以て、教祖は、存命のまま、永久にここに留り、一れつを守護されている。

 どのよふなたすけするのもしんちつの
 をやがいるからみなひきうける     七 101

 実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであつて、陽気ぐらしへのたすけ一条の道は、この理をうけて、初めて成就される。

 あしきをはらうてたすけたまへ
 てんりわうのみこと

(天理教教典第四章 天理王命 より)
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