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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 たん/\となに事にてもこのよふわ
 神のからだやしやんしてみよ   三 40・ 135

 この世は、親神の身体であつて、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵に充ちている。そして、その恵は、或は、これを火・水・風に現して、目のあたりに示し、又、眼にこそ見えぬが、厳然たる天理として、この世を守護されている。即ち、有りとあらゆるものの生命の源であり、一切現象の元である。
 実に、この世は、理ぜめの世界であつて、一分のすきもなく、いささかの遺漏もない。天地自然の間に行われる法則といわず、人間社会における秩序といわず、悉く、奇しくも妙なる親神の守護ならぬはない。

 このせかい一れつみゑる月日なら
 とこの事でもしらぬ事なし       八 51

 月日よりみなそれ/\とみさだめて
 善とあくとをみハけするぞや      八 52

 親神は、人の心はもとより、総てを見ぬき見透し、善悪共に見分けて、思召のままに守護されている。

 にんけんのわが子をもうもをなぢ事
 こわきあふなきみちをあんぢる     七  9

 それしらすみな一れハめへ/\に
 みなうゝかりとくらしいるなり     七 10

 このせかいなにかよろづを一れつに
 月日しはいをするとをもゑよ      七 11

 しかも、親神は、どこまでも、一れつ子供を愛撫される親にています。

(天理教教典第四章 天理王命 より)
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