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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 更に、筆をとつて、たすけづとめのしんである人間宿し込みのぢばと、かんろだいの理を明かし、つとめの人衆について教え、なお、証拠まもりや、いき・てをどりのさづけを渡すなど、たすけ一条の道を示された。
 かかる中にも、厳寒酷暑を問わず、十数度に余る獄舎への御苦労が続いたが、聊かもこれを意にかけず、ひたすら、疑い深く理解の鈍い人心を教化しようと、日夜、手を尽し心を砕き、或は温かく或は鋭く、折にふれ、人に応じて導かれた。
 かように行き届いた導きによつて、教は、大和はもとより、五畿内から関東、東海に伸び、山陽、四国に及んだ。かくて、教祖を慕う白熱の信仰は、人々の足をぢばへぢばへと運ばせたが、なおも、教祖は、親神の思召のまにまに、終始、かぐらづとめを急き込まれた。
 しかし、迫害は歳を追うて激しさを加え、つとめすることは、直に、教祖の獄舎への御苦労となつたが、教祖は、何処においでになつても、平常と少しも変られないばかりか、これを、却つて、表に出るとか、働きに行くとか仰せられて、迎えの役人を、やさしく労われた。
 かかる態度によつて仕込みを受けた人々は、このひながたを慕うて、たすけ一条の上には、我が身どうなつてもと、勇み立つたが、高齢の教祖に、これ以上の御苦労をかけるには忍びなかつた。

(天理教教典第五章 ひながた より)
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