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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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 十年に亙る長い年月の間、かかる窮迫の中にも、教祖は、常に明るい希望と喜びとをもつて、陽気ぐらしへの道を説かれた。そして、時には、水と漬物ばかりで過されながら、「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんというて、苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と、子達を励まされた。
 月日のやしろとなられてから、このようにして二十余年を過されたが、やがて、をびや許しによつて示された珍しいたすけが、道あけとなり、教祖を生神様として慕い寄る者が、近郷一帯にあらわれた。教祖は、これらの人々に、病の元は心からと教え、不思議なたすけを示されたことは数知れぬほどで、不治といわれた難病も、教祖の前には決して不治ではなかつた。盲人もその場で眼を開き、気の狂うた人も、すきやかに正気に復した。
 かくて、輝かしい道の黎明は訪れたが、それは又同時に、新な苦難への門出でもあつた。嫉妬、猜疑、無理解から起る弁難攻撃、或は又、白刃を抜いての乱暴狼藉などが、それであつた。かかる煩わしい生活に明け暮れされたが、教祖は、益々心勇み、陽気なかぐらづとめを教え、てをどりの手をつけられた。まことに、そこには、過去三十年に亙つてなめられた苦難の陰影はなく、又、白刃の下をくぐられた酷しい日々の片影さえも窺えない。ただ、一れつの子に、親神の胸のうちを知らせよう、との親心あるばかりである。

(天理教教典第五章 ひながた より)
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