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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\尋ねる身上一つの処、尋ねる理を諭しよう。たすけ一条/\という内、この処より多くの中理をある。めん/\一名の処、天理王命と称する五十年前よりの道すがら分かり来てあるなら、早う身は発散。世界の処事情は話す。発散々々。どういう処理を聞かそうと、銘々五十年からの道でありた。銘々の処、又こうした理で救かったと。伝え話してあると。十分の伝え話である。』(M21)

「文章的には、わかりやすいおさしづだと思いますが、“天理王命と称する五十年前よりの道すがら”というところが難しいように思います。この“天理王命と称する五十年前よりの道すがら”というのは、“おやさまのひながたの道”であり、貧に落ち切られ、かしものかりものの理、心の八つのほこりを深く悟られて、すべての成って来る理を誠の心をもって、“たんのう”一つの心で喜び勇んで通り切られた“ひながたの道”のことであると思います。また後年、親神様と一心同体と成られて神の社として数々の奇跡をお見せになられ、たすけ一条の“をや”の心をお示しになられたことを申されているのだと思います。おやさまは、神様なのだから最初からなんのご苦労もなく五十年のひながたの道をお通りになられたのではないか?というふうにも考えられるのかもしれませんが。決してそうではなく、人間の身をもって長年お手本として“たんのう”の心を実践せられて、真に親神様と一心同体と成られたのだと僕は思います。我々は、人間なのだから神様であられるおやさまの真似な
んて出来ないというふうに考えがちではないかと思いますが、実際にその“ひながたの道”を実践なされて、神様おやさまと一心同体と成られたのが、愛町初代会長の関根豊松先生ではないかと僕は思います。」

ひろ
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