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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『神一条というものは、何にも一寸一つで分かるもの。・・・・・何とも分からん処から、一寸この理を聞き分けて貰いたい。どうこうとは言うわん。不思議というものは、大きな事というもの。一寸に分かり難くい。一寸の事世上へ理を出したる。何かの処も理を出したる。成程の思やん定めて、理を聞き分けて貰いたいのやで。どんな者でも仮名ぁなもので理がある。一寸した理いを大きな理やで。自由自在という事は、言葉で分かる。これが大きなやで。天のだめ。』(M21)

「神一条というものは、難しくはない。なんにもわからんところから、真実の誠の心があれば、すぐとわかるものである。いんねん一つの理をしっかり聞き分ければ、なんにも難しくはない。誠一つの心があれば、すぐにわかる。しっかりいんねんの理を悟り、成程と心を治めることができれば、ちょっとした理が大きな理となる。おふでさきのかなな言葉の理より、すべてがわかる。そのちょっとしたことが、実は大きな理であり成程の理なのである。自由自在というのは、おふでさきの仮名な理より悟り、しっかり実践をさせていただくことによって、見えてくる。これが、天の理で揺るぎのない神様のお言葉で、千に一つの間違いのない、天の神様が働いて下さる物種で大きな理となるのである。それゆえに、これを天のだめの教えと言うのである。」

ひろ
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