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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\いかなる処よう聞いて、身上一つの処心得ん/\。いかなる処も聞き分けて置かんならん。世界救ける処、何程尽せども尽し飽かんという処、何でも彼でもと思う処、一つの身の障り、何の大丈夫々々々。いかなる事情も聞いて居る。世界処に一つの話、この処皆神の子供々々、前生の事情もだん/\にある。善もあれば悪もある。世界の道も幾筋もある。難儀の者もある思て、一つのたんのうとせねばならんで。さあ/\身の内の処と何かの処も、さあ/\速やかという日もある。さあ/\速やかという処を以ちて、直ぐと出るがよい。』(M21.11.04)

「さあさあ、どうしてこのような身上をいただくのかを、しっかり考えなければならない。世界には、様々な事情の人々がいる。その中にも様々な身上で苦しむ人々もあるが、それらはすべて前生における善と悪の種を蒔いておいたところから、今生において芽が出て来てしまっている姿なのである。世界中の人々の難儀な姿を見渡して、しっかりと我が身の前生のいんねんを自覚して、たんのうするように。そして、身体は神のかしものという理を深く悟り、ますます心勇んでおたすけに出るようにと。」

ひろ
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