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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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神様から、「長年ご苦労であった」と言われる迄やり切らなければいけません。『さあ、さあ、やり切れし切れ、人間踏ん張れ、神も踏ん張る』として待っておいでです。私は、散々の中を抜け切って来ました。関根は、叩きつけられても、ねじ伏せられてもやり抜く、因縁なら、どんな中もどんな事も抜けます、この精神が道の者です。道は、俗に「覚悟の信仰」と言われて、難儀の中程、苦労の中程、喜んでやり切る。難儀結構、苦労が財産――と言われますように、苦労の中勇んで抜けました人間は、自由用の理を頂いております……私は、命のある限り親様に使って頂こう、この覚悟をもって喰い物なければ水呑んでも通ろう、寝る所なければ余所(よそ)の軒下借りても、着る物なければゴザかぶっても、道をやり抜くぞ、こうして通させて頂きましたが、確かに神様はあります。会長さんが、「関根さん、そこ迄するな、そこ迄しなくてもいいではないか」と止められました、その人間は、自由用自在の働きをみせて頂いております。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初
代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
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