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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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同じ人間が、どうしてそんなにも、大きな隔たりを持っているのか――それは魂に徳があるかないか、魂が汚れているか、いないか、によって違ってくるのであります………お道の人は、一時の欲よりも、もっと大きい天徳を求めるのですから、徳より外の報酬は、何一つ要らないのであります。魂に徳を積む――仕事程、心の楽しいものがありましょうか。ひたすら、神様の御用に汗を流し、勇んで自分を出し切って行きます。この勤め切って行く喜びこそ、ひのきしん精神と呼ばれて、味わった者だけが知る人間至上の喜びなのであります……では、徳になる働き、天理に叶う働き――とは、どういうものでしょうか……進んで神様の御用をさせて頂く、世界助けの親神様の思召しに少しでも添わして貰う様に、勤めて行くことであります……『言われてするのは当たり前、言われてせんのは強情者、言われん内にするのが誠の者や』と教えて頂いています……ひたすらに魂に徳を積む事が如何に大事か――人が見ている処でした善行は、人から御礼も言われましょう。然し、人の知らない処で
した善行こそ、必ず神様が受け取って下さっているのであります。伏せ込まれた陰徳程、培養されて大きな陽徳となり、貴方の生涯を守ってくれるでしょう。かくして、貴方の望む陽気生活が、貴方の勤めによって生まれてくるのであります。さぁ、何で迷いがいるものですか。一点の嘘も損もない――神様の支配のこの世界で、勤めただけが我がものであり、打ち込んだだけが自分に返ってくる事を信じて、ひたすら勇みの中にお進み下さい。積んだ徳こそ我がものであり、幸福はそこに招かれてくるのであります。(『赫(かがや)ける神人(かみびと)』〔愛町初代会長関根豊松先生〕 高橋宏之介著 源書房刊より)
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