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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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ちょっと今日は、少しおもしろいというか、たぶん皆さんも興味がわきそうなお話をさせていただきたいと思います。m(__)m

お道には『蒔いたる種はみな生える』というお言葉があるのは、ご存じかと思いますが、キリスト教などおいてもおなじような言葉があるのをご存じでしょうか???

『人は蒔いた種子は必ず刈り取らなければならない』(聖書)

というものですが、以前にもご紹介させていただいた“エドガー・ケイシー”氏は、敬謙なクリスチャンでありながら、“人間の魂の生まれかわり”を不思議な形で実証されていて、『人生は一回のみではない、魂の成長と愛の完成のために………』という言葉を残されています。

なぜこういうことを書くのかと言いますと、最近また、ケイシー氏のご本を読ませていただいていますが、僕の中で最もインパクトのあった箇所は、

「私利私欲のために他人を妨害することは、下肢の麻痺を招く」

というところでした。

これには、ほんとにびっくりしましたが、まず間違いなく事実であると思っています。
お道のことを深く研究、勉強させていただくにあたり、神様は様々なご本をお与え下さっているように思います。

最近また、ケイシー氏のことを題材にした『転生とカルマの法則』というご本をお与えいただきました。そこには、「キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教などの根本の神は同じである。」と書かれ様々な面から説かれてありました。

僕は、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教については詳しくは知りませんが、キリスト教、仏教、イスラム教などと同じように、すべて同じ神様、即ち『親神天理王命』様が、その時代時代に応じてお現れになられて説かれた御教えなのではないか?というふうに認識させていただいています。ただ、聖典を解釈した人間の自我によって歪みが生じ、極端な教えが展開されてしまっているだけなのだとも思っています。m(__)m
それから、『生きがいの創造』という、全く宗教とは関係のないところでの「飯田史彦」先生の“生まれかわり”についてのご本もお与えいただきました。
どうやら、世界は“水瓶座時代”に入り、我々人類(人間)は真摯に“生まれかわり”や“前生の因縁”について、そして、真の人生の意義をしっかりと研究、勉強、そして、実践させていただかなければならない時代に成って来ているのではないでしょうか?

ひろ
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