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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\尋ねる事情/\、余儀無くの事情通るなれども、どんな事こんな事という。いんねんという/\理を鮮やかという、一つという、これを遁れようという。これはどうなろうと思う。これは内に掛からんようと、一つ思う。又身上に掛かるという。よう聞き分け。この理を諭す。難しいと思えど、さしづ通りの理が見えるかと思うて、これ心に一つ治め。いんねんというは、大難小難とする/\。これが結構と思う。成るだけ一つ大層な理を持たずして、暫くの処、じいと心治め居るがよかろう。
押しての願
よう事情聞き分け。安楽の理は通るであろう/\。安楽の理を、よう聞き分け。安楽の道は、安楽やないで。この上生まれ更わりの道は無きようにせねばならん。どんな事も、難儀さすような道は運ばさせんで/\。運ぼと思ても運ばさせんで。確かに心を治めるよう。』(M23.09.21)
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