僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
私は、一代地べたへゴザひいて寝てお道をしようと思ってやったんだ。一代やったら少しは人間らしくなるだろうと思ってやったんだよ。そうじゃない、やってる内にこんなことになっちゃったんだ。こんなことになっちゃったんだって、なんだか財産でも無くなっちゃって困ったような話だけど、そうじゃない。一代地べたへ寝てお道をしようと思ってやってみたんだ。そうしたら、一代どころのさわぎじゃない、そんなこと言ってやってみて一年経たないうちにこんなになっちゃった。
神様のお言葉にもあるよ。『身を捨ててこそ立つ瀬がある』これは、神様のお言葉なんだよ。 ねぇ、ところがどうもお道を聞いていると、ねぇ、お道をもって自分が助かろう、助かろうと、こう思って皆かかっているらしいんだよ。信者さんでも教師でも。ねぇ、だから自分が助からないんだ。 『身を捨ててこそ立つ瀬がある』って言うんだら、自分一代地べたへ寝てお道やろうと思って私はやってたんだよ。一代お道をやったら、なんとか人間らしく成るだろと思ってやってみた。そうしたら、一代どころじゃない、わずかの間にこんなになっちゃったんだ。 ねぇ、お言葉には、『身を捨ててこそ立つ瀬がある』っていうお言葉があるんだ。身を捨ててこそ立つ瀬があるって、それが分からないんだよ、人間には。私も分かんなかった。自分がやってみたら、なってきたんだ。やってみたって、成るだろうと思ってやったんじゃないんだ。成るだろうと思ってやったらだめだ、欲が働いちゃうから。 自分は一代難儀してもいいから、お道をやろうと思ってやったんだ。そしたら、こんな事になっちゃった。 つづく PR |
最新コメント
プロフィール
HN:
ひろ
性別:
非公開
フリーエリア
|